2008/02/16

神殿建築のための寄贈

歴代誌上 第29章

 ダビデは、全会衆を前にして、これから始まろうとしている神殿建築の意味とそのために自分がしてきた準備を述べた。そしてその後で、彼は言った、「更にわたしは、わたしの神の神殿に対するあつい思いのゆえに、わたし個人の財産である金銀を、聖所のために準備したこれらすべてに加えて、わたしの神の神殿のために寄贈する」と。彼はさらに民に言った、「今日、自ら進んで手を満たし、主に差し出す者はいないか。」すると、家系の長たち、イスラエル諸部族の部族長たち、千人隊長と百人隊の長たち、それに王の執務に携わる高官たちは、ダビデが捧げた以上に自ら進んで主の神殿の宝物庫に寄贈した。
 まことにダビデとイスラエルの高官たちが行った寄贈は、神の前で、ダビデがそれまでに準備したすべてに優っていた。それは、彼らが自ら進んで、喜ばしい心でそれを行ったからである。しかしダビデは、祈りの中で言った、「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう」と。ダビデは、この祈りで、自分と彼らが差し出した麗しい捧げ物を神の前に、無に等しいものとしたのである。ここにおいて、ダビデの神殿は完成した。神殿の建物は、まだ誰の目にも見えなかったが、霊的には、それはすでに完成したのである。ダビデは、彼が行うことのできる、本当にすべてを神の前で、真実な心で行い通した。まことに何者も、神の前にこれ以上のことを行うことはできない。人が自らの意思で行うことのできる最高のものとは、神への麗しい捧げものと、その捧げものを空しくすること、すなわち、忘れ去ることである。そして、それが霊的な礼拝の究極なものである。
 しかし、彼がそれを超えて、神の前に受け入れられる何ものかを実現したいとしても、彼は自らの意思では、それを行うことができない。それを行うためには、神の霊の導きが必要なのである。ソロモンの心に与えられた神の知恵、それがそれを実現可能としていた。そして、今日では、イエス・キリストが与えてくださる聖霊のバプテスマが私たちにそれを実現可能とするのである。

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2008/02/15

神殿建築の開始

歴代誌上 第28章

 ダビデは、神がご自身の名を置かれる聖なる神殿建設のために、おびただしい木材、石、金、銀、宝石等々の材料をすべて準備し、その子ソロモンに与えた。神も、神殿とそれに関係するすべてのものの作り方をダビデの心に啓示されたので、彼はそれらを設計図に描いてソロモンに手渡した。それから彼は、イスラエルの長たる者をすべてエルサレムに召集して、主のすべての戒めに留意し、それを求めることを命じた。それは、民たちがこの神殿で礼拝をささげると共に、日常の生活においても神に完全に従い通すことにより、彼らの斯業の土地を子孫に代々受け継がせるためである。ダビデは、その子ソロモンに、これらを実現するために必要なものすべて、すなわち忠誠を誓う民と王座、組分けされた祭司とレビ人をも併せ整えて与えた。
 つまりダビデは、イスラエル民族が神に従う聖なる民となり、神から与えられた約束の地で繁栄し、神の栄光を現すために必要なすべてを予めその子ソロモンのために準備した。しかし、彼自身は、それらを完成することができなかったのである。それは、神が彼にこう言われたからである。すなわち、「あなたは戦いに明け暮れ、人々の血を流した。それゆえ、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と。
 旧約聖書には、神の備えられた信仰の型がすべて用意されている。それらは、信仰の素材としては、完全で必要十分なものである。私たちは、旧約聖書を読むことにより、神が私たちに求めておられる信仰的なすべてのことを知り、理解することができる。しかし、それを完璧に実行することはできない。私たちは、旧約聖書を読むことを通して、神の御心を知り、その戒めを理解し、そこに記されている約束を握りしめて、日常生活をダビデのように勇士として歩むことができる。そのとき、そこに書かれていることは、文字通りあなたの人生に成就する。そのときあなたは、ダビデその人となる。しかしそれだけでは、あなたはあなたの日常生活を完成させることができない。ちょうどダビデがときおり失敗をしたように、あなたは神に完全に従うことができず、神との間に平和を確立することができない。そのようなあなたに必要なのは、ソロモンのように神の知恵に満ちた一人の王なのだ。その王があなたの心を治めるなら、あなたは神に完全に従順な者となり、あなたの心の王国は、完全に統治され、あなたは、神との間に永遠の平和を確立することができるのだ。そして、この神の知恵に満ちた一人の王こそ、文字通りダビデの子なるイエス・キリストであり、旧約聖書のすべての約束がこのお方によって、あなたの中で完成するのである。

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2008/01/30

軍隊組織

歴代誌上 第27章

 ダビデが歳を重ね、その個人的な戦力が衰えるに従って、国に強靱な軍隊組織が必要となってきた。ダビデが若くて、強かったときは、そのようなものは必要なかった。ダビデ自身が軍の先頭に立って出入りし、神はダビデに行くところどこにおいても彼に勝利を与えられたからである。
 しかし、彼が歳を重ね、軍の指揮を指令官ヨアブにゆずるにおよんで、軍の大がかりな組織化が必要となったのであった。それは、各月毎の当番制であり、12の組に分かれ、各組にはそれぞれ2万4千人がいた。それらの組はまた、家系の長、千人隊と百人隊の長、そして種々の役人たちからなっていた。
 この重厚な軍隊組織に比べて、各部族の統率や王室財産の管理、種々の事務や総務等は、非常にシンプルな構成であった。彼は、それらを顧問や書記官に任せ、自分自身はそれらにほとんど関わらなかったようだ。そのようにダビデの生涯は、戦いの生涯であり、戦いの中で神を礼拝し、賛美し、歌を詠み、祈り、神の裁きを遂行したのである。

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2008/01/25

門衛

歴代誌上 第26章

 主の神殿を常時監視し、守るためにレビ属の中から門衛が任命された。彼らの中には、アサフの子らの一人、コレの子メシェレムヤの子ら十二人やかつて神の箱を自分の家庭に預かったことがあるオベド・エドムの子ら六十二人がいた。彼らはみな、この務めにふさわしい勇士たちであった。神は、ご自身の聖なる神殿を守らせるために軍隊をもちいることはなされなかった。返って神は、聖職者としてのレビ人にその務めを託されたのであった。
 それでは、万軍の主ご自身は、神殿を守ることをされないのだろうか。神ご自身は、おそらくそのようなことはされない。その理由は、この務めの本当の目的は、実は神殿を守るということではなく、彼らが自分で神殿を守るという行為をすることにあったのだ。そして、この神殿を守るという行為こそ神への献身を表す尊い行為であり、今日における信仰の戦いであり、それは実に、絶えざる献身、究極的な礼拝を意味しているのである。

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2008/01/21

詠唱者

歴代誌上 第25章

 ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、竪琴、琴、シンバルを奏でて万軍の主を賛美する奉仕の務めに就かせた。彼らの歌う賛美は、即興のものであり、預言であり、そこで語られる言葉は、将軍たちにも一目を置かれた。万軍の主が、彼らの賛美の上に座され、常に彼らの現状を見ておられ、時にかなった助けと導きを与えられたからである。
 このように賛美は、主の臨在される場所なのであり、神はこの預言としての賛美をアサフ、ヘマン、エドトンのすべての子らに賜ったのである。
 しかし、預言というものは一つの神秘であり、二人の者が語っているとき、必ずしもそれらが一致するとは限らない。共に神に忠実に語っていてもである。それは、無限の世界を有限の世界に投影することになるゆえにそのようになるのである。しかし、神はここに秩序を設けられた。アサフの子らはアサフに、エドトンの子らはエドトンに、ヘマンの子らはヘマンに聞き従ったのであった。

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2008/01/16

世襲制

歴代誌上 第24章

 古代イスラエルにおいて、祭司職は世襲制であった。これは大きなことである。ダビデは軍の将には、強い者、名のある者、武勲を上げた者を採用したが、神を礼拝することを司る祭司は、世襲制により採用したのであった。
 アロンの子らのうち、長男と次男であるナダブとアビフは、神に異なる火を捧げたことにより、主に打たれて死んでしまった。しかし神は、その二人の息子の過失ゆえにアロンを捨てることをされず、彼の家を民を代表してご自身を礼拝する大いなる務めに永久に任命されたのである。
 このことは、私たちに現された主イエス・キリストの恵みを表している。私たちは、時として信仰の道に迷い、力がなく、主の務めを行うにふさわしくない状態であることがある。しかし神は、主イエス・キリストの購いの恵みのゆえに、私たちの犯す罪を赦し、ご自身のための聖なる務めにつかせていてくださるのである。そして日々、霊的な養いを与え、天国へ導き入れてくださる。私たちのためには、すでに天に住まいが用意されているのである。私たちのこの神の子としての身分は、まさに世襲制なのである。

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2008/01/10

全生活的な礼拝

歴代誌上 第23章

 歴代誌の上下二巻は、ダビデとソロモンのもとでの神殿建築と礼拝について書かれているという。そのような観点から、この章に書かれていることを見ると非常に興味深いものがある。
 老年になり、その子ソロモンを自分の後を継ぐ王としたダビデは、イスラエルの全高官、祭司、レビ人を自分のもとに呼び集めたが、その中心はレビ人であった。彼は、集められた三万八千人のレビ人の大半を主の神殿における務めを指揮する者に任じたが、残りを役人と裁判官、門衛、主を賛美する者とした。ダビデは、この最後の者たちのために、特別に楽器を作らせた。これはまさに、ダビデらしい主への愛の結実であるが、彼はその務めを礼拝の中心に持ってくることはしなかった。ダビデは、この神殿建築において、礼拝が大きく変革されるべきことを認識しながらも、あくまで伝統的な礼拝形式を重んじたのであった。
 また、レビ人の中から役人や裁判官に認じられる者が出たことは、政治や裁判も神聖なものであり、それを通しても神を礼拝することが目指されていることが伺える。そのように、ダビデにとって、生きる営みのすべて、政治、戦争、裁判、経済、社会活動、教育、芸術に至るすべてが、神を礼拝することだったのである。

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2008/01/08

我が子に託す夢

歴代誌上 第22章

 ダビデはその子ソロモンに、神のために壮大な神殿を築かせようと、予め大量の金、銀、青銅、鉄、石、木材等を準備した。神がダビデに「あなたが大きな戦争を繰り返し、多くの血を大地に流したからには、わたしの名のために神殿を築くことは許されない」と言われたからである。
 人は、その生涯で心に願うことのすべてを実現することはできない。そしてときに、自分にはできなかった夢をその子に託す。しかしそれには、それが神のみ心である必要がある。ダビデがその子ソロモンに神殿建設の夢を託したのは、神が彼の子ソロモンを選び、「この子がわたしの名のために神殿を築く」と言われたからである。そして、それはまた、ダビデからソロモンへの命令でもある。そして、ダビデはこの命令と共に、ソロモンを主の名により祝福して、「わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成しとげることができるように」と言ったのである。

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ダビデの人口調査

歴代誌上 第21章

 これは、不可解な事件ではある。サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。ダビデは、まんまとその誘惑にのり、ヨアブに全イスラエルの人口調査を命じてしまったという。しかし、このことに対応するサムエル記の記事によると、神の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、彼らを罰する口実を作るために、神がダビデを人口調査に誘われたとされているようだ。
 いずれにしても、ダビデが行った人口調査は、神の怒りを買い、その結果、7万人のイスラエル人が疫病に倒れた。そしてその原因は、どうもダビデの野心というよりも、そのころアブサロムの反逆以来乱れて来ていたイスラエルの情勢の方にあるように思えるのだ。もちろんダビデは王であるゆえに、その責任は重いということは言える。しかし結果として、神はダビデを直接罰することをされず、疫病で民を討たれたのであり、そのことはまた、ダビデにとっても非常に辛いことであった。
 それにしても、神が人を悪に誘われるというようなことがあるのだろうか。聖書を偏見なく読む限り、それは、ある意味ではあり得ると言えるし、またある意味ではあり得ないとも言える。ヤコブの手紙には、「神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです」と書かれている。しかし一方で、神はサウルに悪霊を送られたことがあるようだし、悪魔がヨブを苦しめるのをも神は許された。この世界は、すべて神の支配下にあり、神の許しなしには、何事も起こらないことを信じるというなら、その人はまた、神が悪魔をも用いられるということを不承不承にも承認することを要求されているのではないだろうか。
 しかし、それにしても神は、なぜそのようなまぎらわしいことをされるのだろうか。それは、悪魔がなんのために存在を許されているかということに関係する。悪魔が存在を許されている唯一つの理由は、パウロが言っているように、私たちが神の国に入るには、多くの苦難を経なければならないからである。そして、私たちにこの苦難を与えるのが悪魔の役目なのである。そして、悪魔はその役目を終えると、火の池に投げ込まれるのである。

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2007/12/28

戦いの意味

歴代誌上 第20章

 『年が改まり、王たちが出陣する時期になった。』と記されている。この時代は、国と国の戦争が、まるで貿易のように行われていたのだろう。戦の勝利によりもたらされる富が、国を豊かにした。そして、戦に勝つことが誉れあることだった。これは一見、今日の価値観と非常に異なっているように見える。しかしよく現実を見ると、実はあまり変わっていないことが分かる。
 というのは、現代社会においても、強者と弱者、富者と貧者、賢者と愚者がいるし、これらそれぞれにおいて、前者は後者を虐げ、搾取し、思うままに振る舞っているのが一般なのだから。そればかりか、人々の心を支配しているのは、なんとかして人よりも金持ちになりたいとか、名門校に入りたいとか、出世したいとか、その類のことなのである。私たちは、それらを手に入れるために、直接人の命を奪うようなことはしない。しかし、経済競争が、結果として、周り回って人の命を奪うようなことがないと言えようか。
 この世界が平等を理想としているように見えるのは、実は擬慢であり、人の心にあるのは、生まれつき悪いことなのである。そして、私たちがそれらから解放されるためには、まず私たちの善悪の判断が変革されねばならない。私たちの判断は、アダムがエデンで善悪の木の実を食べたときから狂ってしまったのである。
 そして私は、死というものが存在しない永遠の世界に至っては、この「戦い」とか「略奪」とかの概念が、まったく異なってくると推測する。それは、まさにこの歴代誌に記されているような、「誉れ高きこと」へと再び回帰するのであり、それゆえ、主イエスに従い行こうとする現代の信仰の勇士たちにとって、歴代誌の記事は、燦然と輝きを放っているのである。

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