2013/08/31

愛用のPDA

Dsc01495 PDAとは、Personal Digital Assistant の略だそうだ。つまり電子手帳のようなもの。最近では、iPhoneにより電話と統合されてスマートフォンと言われるものになり、魅力的な端末が次々に発売され、みんな飛びついているようだ。しかし、私にとっては、この10年以上前のPalm m105にまさるものはない。たとえ画面が白黒でも、手書きペン入力でも、乾電池式でも、インターネットに接続できなくても、これさえあれば気分は上々。満足、満足。他には何もいらない。なにしろ、たった8MBのメモリーのこの端末には、5年以上も前の会議録も一瞬で参照することができる機能があるのだから。それも去ることながら、この曲線美はどうだろう。このボタンの配置はどうだろう。全面プラスチックのこの安っぽいPDAを持っていることに、何か誇りというか、ひそかな喜びを感じる私は、もう古い人間なのだろうか。

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2013/01/25

ブル・ワーカ

Bull 「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と子供のころに良く言われたものだ。それも当たっているところがあると思う。これは、エキスパンダー(と言っても、いまや分かる人は少ないか)をちょっと高級にしたようなもので、子供のころ運動部員であった私の友達の多くが持っていて、一つのステータスになっていた。これで毎朝、26個の課題を各12秒づつ行うと10分以内で筋力トレーニングができるという仕組み。この機器は、その初代バージョンであり、それを1年前にオークションで3000円で落札した。それ以来、ほとんど欠かさずに続けているが、結構効果が高く、朝の出勤前に行うと一日中筋肉が活性化したように気持ちがいい。これを始めてから、思ったことがすぐ行動に出るようになった。これは、神の御心を行う上で有利なことだと思う。あるとき、電車に乗っていたが、降りていった隣の席に帽子が残されていた。すぐに取り上げて、その人の後を追って行き、「忘れ物ですよ!」と手渡した。「あ、それ、私のではありません。」なんともお粗末ではあるが、そのような行動に移れた自分に、何か頼もしさを覚えたものだ。こんな小さなことから始めて、大きなことにも少しづつチャレンジして行けたらと思う。イエス様が言われた、「小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である」という言葉を心に抱きながら。

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2011/07/13

マーブルチョコレート

Choko 私は、チョコレートが大好きである。でも、同時に大の苦手でもある。というのも、食べると腸が荒れてしまって、あとで少し苦しい思いをすることになるからである。そんなに重症ではなく、アレルギーというほどではない。ただ、体に合わないと感じるのである。これは、まるで、あの何でも金に変えてしまう術を授かって、自ら餓死した王様(そんな話だったっけ、ほとんど忘れたが)のようであり、悲しくもあった。しかし、最近、一つのチョコレートを見つけた。これは、なぜか腸に害を与えないようだ。そして、これが子どものころに食べた、あの懐かしいチョコレートだということもやはりうれしいことの一つなのである。

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2010/11/19

イナゴの佃煮

Inago バプテスマのヨハネは、イナゴと野密を食べていたと言う。野密は良いとしても、イナゴはどうやって食べてたんだろう。ぴょんぴょん跳んでいるのを捕まえて、片っぱしから口に入れていたのか。それとも、料理してから食べたのか。どうも、そんなことが気になる。でも、みんなから尊敬されていた彼のことだから、多分、料理して食べていたのではないだろうか。一般的に変人は尊敬されないと思うから。それとも、イナゴは、当時のイスラエルでは、比較的ポピュラーな食べ物だったのだろうか。このイナゴの佃煮は、とてもおいしい。イナゴらしさはあまりない。ちょっと足がのどに引っかかりそうになるのが気になるけど。

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2010/10/23

私の好きなスナック菓子

Piri
Negi
 スナック菓子は、けっこう好きだ。コーラもあれば、最高の至福の時間が過せる。でも、本当においしいものは、それほど多くない。妙に油っぽかったり、後味が悪かったりするものもある。でも、このピリカレーとねぎみそ焼は、超絶品だと思う。後者は、以前から変わらないすばらしい味だが、前者のピリカレーは、最近になってまったく味に磨きがかかり、すばらしい仕上がりになっている。両方とも包装は、お世辞にもスマートとは言えない。「おいしいよ」と言って客に出すときには、いつも冷やかな目で見られてしまう。しかし、この二つは自信を持って勧められる数少ないスナック菓子なのである。ここ川越に来る前は、見たことなかったから、もしかしたら、ここら辺にしか売っていないのかもしれないけど。

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2010/09/24

どうぶつえん

Owl
Naya Kiji
Flamingo Baku
 私の家からそれほど遠くないところに、動物園がある。といっても、ライオン等の猛獣はいない。子どものための動物園である。この日は、一人で出かけてみた。動物は、檻に入っていても、はやり動物である。その体には、野生の血が流れている、にちがいない。それを撮りたくて行ってみた。でも、この日は、どうした訳か、みんな馴れ馴れしくて、動物らしくないように感じた。動物園だからといって、動物園の動物らしくする必要などないと思うのに。きっと夜にでも行ってみれば、ぜんぜん違う動物の姿が見られると思うのだ。そういえば、これまでに行った動物園の中で、そういう意味で一番度肝を抜かれたのは、那須サファリパークだった。村のおばさんみたいな人が檻の開け閉めをして、車を通してくれるのだが、中に入ったら大変。ライオンが大きな肉の塊にかぶりついていたり、キリンがべっターってなめてきたり、これこそ動物園って思った。それ以来、動物園の動物も捨てたものではないと思った。その那須サファリパークのホームページを最近見てみたら、「ナイトサファリ」というプログラムがあった。夜の動物園は、一度行ってみたいと思っていた。しかも那須サファリパーク。これは、本当にぞくぞくするような体験ができるのではないか、と思って、無性に行ってみたくなった。でも、ここからだとちょっと遠いのと、夜だと写真にうまく写らないかもしれないな~。

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2010/09/10

日暮れ

Usuakari それは、一瞬というか、わずかに短い時間のできごとである。自分の立っている地面が、空よりも輝いて見えることがある。足元から、遥かな彼方まで、ほのかな明かりに包まれて、ここは天国ではないかと思うことがある。寂しさと、不安と、安心と、懐かしさ、静けさと喧騒、あきらめと希望、逃避と憧憬、それら、言いようのないものたちが、周りの空気に混じって、私に迫って来る。「わたしは、・・・・、そして、・・・・」、思いは言葉とならない。私は、ただあるくだけ。このいまの状態が、長く、永く、つづいて欲しいと、ただそれだけを願いながら。

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愛しのPDA

Newton 大事にしていた、Newtonがずっと前から動かなくなっていた。以前は、eMateとか、M2000とか持っていたが、いつしか手放してしまって、残っているのは、このバックライトのつかないNewton Message Pad 130 だけになってしまっていた。そのたった1台が壊れてしまって、悲しく思っていたが、捨てられずにずっと机の引き出しに入れたままにしておいた。でも、今日、また電池を入れてみたら、なんと、正常に動き始めたのだ。このマシンは、機械なのに、なぜか動物か人間のような感触がある。画面のどこにでもペンで英語を書けばそのまま入力されるし、いろんな面白いインターフェースを隠し持っている。その面白さは、私にとっては、iPadの比ではない。いまだに、これ以上素敵なマシンにはお目にかかっていない。このブログを書くのに愛用しているPalmは、実用面では、今でも最高のマシンなのだが。

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2010/06/07

水族館

Suizoku 妻と買い物に行くのは、結構楽しい。特に魚売り場はおもしろい。そこはさながら、水族館のようである。今日は、どんな魚が来ているか、いつもわくわくしながら売り場を巡る。今日の目玉は、このめばる。小さくてかわいくて、海で泳いでいたころが活き活きと想像できるようだ。となりにいるのは、トビウオだろうか。ホヤや活きているツブガイ、ぴちぴちしたクルマエビ。たまには深海魚の鮟鱇なんかもいることがある。ああ、楽しいな。水族館と同じくらいに。

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2010/03/07

グラスキャットフィッシュ

Catfish 初めて熱帯魚を飼ったとき、この魚が珍しかったのでいっしょに買ってきたら、まず、ひげが段々短く削れてきて、元気がなくなって、ついに死んでしまった。これは、とてもデリケートな魚で、それ以来、飼うのは敬遠していた。しかし、最近は水槽を小さくして、自分の世話できる範囲にしたことと、2~3週間ごとに必ず掃除しているので、魚はみんな元気である。そこで、思い切ってこのグラスキャットフィッシュに再チャレンジしてみた。結果は上々で、ひげも元気で、すいすい泳いでいる。最初来たときには、二匹だけでつるんで泳いでいたが、最近ではネオンテトラ等他の魚とも打ち解けてきた様子で、とても安心している。

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