2013/08/05

やっぱり、だめか。

 昨日と一昨日は、中小企業診断士の試験日であった。今回は、本当によく勉強した。あまり頑張りすぎたので、途中で帯状疱疹にもかかって苦しんだ。会社から帰ってきても、ほとんど自由時間のない、まるで受験生のような日々であった。最後の3日は、夏休みをとって一日中勉強した。これ以上は、いかにいっても頑張れないだろう。しかし、試験の結果は惨憺たるものであった。最近は、酷なもので、試験の帰りには、解答速報が配られるし、翌日には、協会から正答と配点が公表されるので、合格発表を待たなくても結果が即座に判明してしまうのである。ああ、なんといやな世の中になったのだろう。
 そういうわけで、自己採点の後は、すっかり意気消沈してしまった。神は、なぜ私を助けてくださらなかったのだろうか。私の選択した道が間違っていたのだろうか。落胆して、詩篇を読み始めた。すると、どうだろう。詩篇の作者が、神に叫んでいる。「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。(詩篇 10:1)」と。また、あの勇士ダビデが、神に嘆願している。そして、主イエスが十字架で神に嘆願した言葉が、そこに記されている。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。」と。
 そうだ、神に従う道は、決して勝利だけではない。そこには、苦難も試練もある。しかし、神のご計画だけが成る。私に対する神のご計画が、私がビジネスマンになることなら、そのようになるに違いない。まだ、その望みが絶たれたのではない。もう一度、最初から頑張ってみようと思う。そして、来年また受験しよう。そのように、気を取り直したのであった。

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2013/08/02

試験に臨む

 明日は、いよいよ中小企業診断士の試験当日である。この3日間は、特に集中して、試験問題を勉強してきたが、このような短期間の勉強では、とてもカバーしきれない。以前は、雲を掴むような感じで、試験問題にも手が出なかったが、いまでは問題をやる意欲が出るまでになってきた。しかし、いかにしても、そうなるのが遅かった。このような穴だらけの状態で、試験に臨まなければならない。
 神にこの心境を祈った。「神様、いままで必死に勉強してきましたが、ちょっと始めるのが遅すぎたようです。明日の試験を前にして、とても不安です。孤独で、さびしく、助けもありません。望みもありません。どうか、私のそばにいてください。私を悲しませないでください。助けてください。」そのように祈ると、ほんの少し、気が楽になった。祈れば祈るほどに、少しずつ気が楽になるようだ。
 もう、今夜は早く寝ることにしよう。明日の試験で、頭がぼおっとしてしまわないように。今日の聖書日課の16章分を読みきって、安らかに眠りに就こう。そして、明日は、雄々しく戦って来よう。きっと神が助けてくださるに違いない。

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2013/07/18

やっと突き抜けた!

 今年の3月ごろから始めた中小企業診断士の受験勉強も、残すところあと半月になった。しかし悲しいことに、この歳になると、6科目ある教科の6科目目の勉強を終えるころには、1科目目の内容のほとんどを忘れてしまっているのが現実なのである。そんな出口の見えないトンネルの掘削作業のような毎日の中、この7月の第2週に入って、やっと経済学・経済政策の科目に光明が見え始めた。教科書の学習も3回目を迎え、やっと何か覚えて頭に残っている感覚を覚えると共に、少しだけ過去問をやってみて、これから勉強を続ければ、何とか正答を得られると思われる問題が60%ほどあることが認識されてきたのである。しかし、この時期にこの状態では、なんとも遅いと言わざるを得ない。この科目を正答率60%以上に持って行き、さらにあと残り5科目もそのような状態にするために残された時間は、あと半月しかない。そこで、突貫工事として、2日で1科目の復習を終えるという急先鋒に出た。そして今日7月17日においては、4科目目を猛スピードで学習している。予定では、今週中に6科目全部の最終的な復習を終え、来週からは、過去問に集中できるようにする。そして、さらには、すでに購入している3冊の予想問題集に挑むという戦略である。これが成功するか否かは、妻の祈りと神の恵み哀れみ、そして健康に掛かっている。またあの帯状疱疹のようなことにならなければ良いのだが。とにかく、今は頑張るしかないのである。

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2013/07/07

7月に入って

 ついに7月に入ってしまったが、受験準備は、遅々として進まない。というのも、6科目ある参考書の6冊目を終えるころには、1冊目で覚えたことが、ほとんど頭脳の中から昇華してしまっているのである。このローテーションは、もう3回目に突入したのだが、受験日を間近に控えて、「過去問の嵐作戦」に突入するきっかけがつかめないでいるのだ。ということで、この歳になって、新しい分野にチャレンジすることの大変さを改めて認識した。このままでは、合格もまったくおぼつかない。そこで、新たな秘密兵器を導入することにした。それは、神をほめたたえ、栄光を帰すことである。
 いまでも、毎日聖書を16章読んでいるのだが、それに加えて、神をほめたたえ、神の勝利を宣言し、この戦いは主の戦いであることを宣言する祈りを追加する。それは、そんなに時間が掛からないと思うが、これがすばらしい力を発揮することを確信するものである。

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2013/06/28

試験が目前に迫る

 中小企業診断士の試験が、あと1ヶ月に迫ってきた。最近、帯状疱疹をやったせいか、めっきり弱気になってきているようだ。このままでは、合格もおぼつかない。神様が、私を弱くし、とことんまで合格の可能性を削ぎ、私の信仰を試しておられるような気がする。いま、この状態は、まるで、あのギデオンのようだ。

 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。(士師記 7:2)

 民がついにたったの3百人に減ったとき、神は言われた。

 「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」(士師記 7:7)

 私の使っている参考書には、何人かの合格体験記が載っている。それらの多くが、1年から2年、専門の学校へ通いながら勉強をして受験した人たちだ。私の場合は、この春からこつこつと会社勤めをしながら受験勉強してきた。これでもし合格したら、それは、100%神様の力としか言いようがない。もし合格できなければ、また1年、遅れをとることになる。そこで、このあと1ヶ月をどのように過ごすかにすべてが掛かっている。

 聖霊の助けによって、後ろを見ずに、前を見て、がんばろう。

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2013/06/06

帯状疱疹、その後

 医者の指示通りに薬を飲み、派手に出ていた発疹も一応治まってきたが、今度は、いらいらするような痛みが襲ってきた。これは、帯状疱疹後神経痛というらしい。50歳以上の高齢者には、60%程度発症し、3ヶ月から10年間も続くことがあるという。気の遠くなるような病気である。痛みのひどい人は、ペインクリニックに掛からなければならなくなり、薬物、電気、その他の物理治療を施されるらしい。自分も歳をとったものだなあ、としみじみ思った。なぜ、このときにこのようなやっかいな病に陥ってしまったのか。会社では、マウスを持つ手が大儀でしょうがない。キーボードは、なるべくさわりたくなくなった。そんな感じで推移しているのだが、今日は、薬局に寄って、遠赤サポーターというものを買ってきた。患部を温めると、少し楽になるらしいので。
 そんな中、こんなことを考えた。クリスチャンは、魚や羊に譬えられる。魚は、苦しくても声一つ上げない。羊は、恐怖を知らない。自分もそんな風になれたらいいのだけれど。痛くても、もし魚のように声を上げなければ、それは痛くないのと同じなのかもしれない。この痛みに、これから永いこと付き合わなければならないなら、それとなんとか楽しく付き合う方法はないだろうか。神経の痛みというのは、永く続くと、神経がその痛みを覚えてしまって、実際は痛くなくても、本当に痛く感じてしまうらしいのだ。なんともやっかいな病気である。もしそうなら、その痛みのことを考えないようにすれば、痛くないまではいかなくても、痛みが軽減されるのだろう。そういえば、バイクに乗っているときは、痛みをそれほど感じないなあ。これは、きっと、気持ちの戦いなのかもしれない。自分の気持ち、意識を一つのことに集中する訓練というか、戦いというか。神様は、それを私にさせようとされているのだろうか。
 本当に、自分の一日が、すべて神様に向けられ、献身の思いに満たされていることができたら、きっと痛みもかなり軽減されるのではないだろうか。また、これから始めようと準備しているビジネスに私が就くために、そのような訓練がきっと必要なのかもしれない。

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2013/06/03

帯状疱疹

 受験勉強期間のこの大切な時期に、会社で仕事中の夕方ごろ、右わきの下から背中にかけて痛みが出てきた。インターネットで調べると、どうも帯状疱疹の兆候であった。痛みがかなり気になる状況だったが、この初期に病院へ行っても、診断がつかずに追い返されるのが一般的ということで、すぐには打つ手立てがなかった。帰宅後に家内に症状を伝え、机で勉強していると、近くに来て手を置いて祈ってくれた。家内の祈りは、いつも必ず効果を発揮する。仕事でも病気でも、腰痛でも必ず良くなるので、このときも非常に楽になった。翌日は、元気に出社した。そして、土曜日も、そして日曜礼拝や午後の教会イベントにも支障なく出席し、役割を果たすこともできた。しかし、体の負担は徐々に増加してきていたようで、ついに日曜日の夕方には、右胸から背中にかけて発疹が出始めた。そこで、翌日は会社を休み、医者に行くことになった。医者は、「あなたは、幸運な方だ」と言い、ベストタイミングで診察にきたことを喜んでいた。薬をもらい、医者の指示通り、毎食後欠かさずに飲み続け、この病は収束に向かった。
 今、まだ少し痛みを残しながらも、体はだいぶ元気になってきた。ふり返って考えてみると、この病は、いったいなんだったのだろうか。結局、会社の仕事も、教会生活も、家庭生活にも、受験勉強にも、ほとんど影響はなかった。ただ、痛みには少し苦しんだ。神様は、私に、何の目的で、この病を下さったのだろうか。定かには分からないのだが、一つは、「これからも、健康には、気をつけろよ。大事な時期だから」ということなのかもしれない。また、家内によると、「無理と不節操がたたったのよ」ということかもしれない。いずれにしても、「神のなさることは、時にかなって美しい」と聖書にあるので、神様は、この時期に、この方法でしか成し得ないことを、私のために、このときに成してくださったと考えられるのである。そういえば、最近天に送った、私の救いの恩人である信仰の兄弟の病床の苦しみが身近に思い出された。彼は、こんな風に、弱々しくなり、しかももっと大きく、もっと永く苦しんだのだなと。それから、今まさに苦しみの中にある他の兄弟姉妹のことも。私自身に関しては、この小さな試練を通して、受験勉強への多少の開き直りと、つねに神を第一にすることを教えられたように思う。

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2013/04/25

神に力を求める

 独立開業を目指して、最初の難関である中小企業診断士の試験まで、あと3ヶ月あまりとなった。実は、この資格試験には、過去にもチャレンジしたことがあった。国から全額補助があるという通信教育を受けたが、実際はほとんど何も勉強しなかったため、添削も返さず仕舞いで、あやうく補助金さえも貰えなくなるところだった。そのときの教科書は、その厚みを全部併せても5cm程度だったが、いま私の手元にある参考書と問題集は、全部で27冊、合計50cmを超えるボリュームである。そのうち、7冊をすでに読破し、これで全教科を一通り読み終えたことになる。そして予定では、5月中に全教科の穴埋め問題を終えて一通り知識を定着させ、6月は過去問を徹底的にやり、7月は予想問題と最後の仕上げの補足勉強をして試験に臨むつもりである。
 それにしても、この意気込みはどこからやってきているのか。実は、最近取り組み始めた穴埋め問題だが、それがどのくらいはかどるのか、本当に心配で、はらはらしたものだった。最初の日に何ページ進むのか、それによって、穴埋め問題に掛かる総時間が決まり、それが5月中に終えられるのか、もしだめなら、もうそれだけで今年の合格は不可能となるからだ。しかし、何とかやっていけそうな見通しが立ってきた。それには、聖霊に教えられたように思う。最初は、ノートをたくさん買ってきて、新しい用語を書きながら覚えようとしたのだが、「それはダメ」と聖霊に言われたように思った。そして良く考えてみたら、試験は五択問題ばかりなので、用語を書ける必要はなく、読めれば充分なのだ。それよりも、1頁でも早く先へ進み、その分何度もやって頭に叩き込むことが有効だということが分かった。それから、一つのことをくどくどと覚えるまで繰り返すことも「ダメ」と言われたように思えた。とにかくどんどんと先へ行き、もう一度戻ってきたときに思い出す。そんな風に、修正、矯正されながら、必死で前に進んでいるのが現在の状況である。参考書選びも自分の頭で選ぶというよりも、なから行き当たりばったりのような、たとえば偶然にインターネットで見つけたものとか、何か示されたように思ったものをすぐにアマゾンに発注してきた。でもどうしても売り切れていて手に入らないものがあった。あるとき聖霊に促されたように、町の本屋までバイクで出かけた。するとそこにそれが見つかったので買って帰った。そんな風にして、現在の参考書、問題集がそろってきた。あとは、もうやるしかない。
 夜11時半に寝て、朝5時に起きる生活は、これも聖霊に促されたようだが、自分の体にぴったりあっているようで、疲れも溜まらないようだ。でも、朝はまず箴言1章と詩篇5篇を読んでから勉強に移るので、あまり時間がとれない。会社では、始業前と昼休みに旧約5章と新約5章を読み、余ったら家で読んでから勉強に取り掛かる。でも、理解力が以前より格段に向上しているように思う。だから、勉強の方もしっかりできているように思う。掛ける時間の問題ではなく、やる気と集中力の問題だと感じている。そして、その能力の向上は、会社の仕事にも及んでいて、いままで分からなかったシミュレーション分野の知識も習得が始まった。なんだか、これからはどんなに難しいことでも、理解できるように思える。あと退職まで残すところ1年だが、その間に、恐ろしくたくさんのことが習得できるような気がしている。いままでとても手を出せなかった分野までも。
 そんな自分の変化に、なんだか恐怖みたいなものを抱いている。自分の人格が破壊されてしまうのではないかという恐怖である。これには、良い方法がある。神に祈り求めることだ。無尽蔵の力と知恵の持ち主、神に願い求めれば、いただけないものはない。聖霊の風に吹かれて、どこかに吹き飛ばされて行く人もいるようだが、その風に後ろから押されながら、帆を揚げて、勢い良く前に進むこともできるだろう。でも、それには祈りが不可欠である。それなしには、どこへ飛ばされるか分かったものではない。神の力を侮ってはならない。
 こんな風にずらずらとありのままを書いているのは、あのときはこんな状態だったということを書き残して、神さまがいかに助けてくださったのか、そして、もし合格して独立に成功したら、それが神さまの御心であり、その先にやるべき使命があって、今はそのための準備期間であったことが明らかになるためなのである。

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2013/02/28

経済学・経済政策の勉強

 経済学は、私のもっとも苦手とする、きらいで関心も無い分野である。なぜそれを今勉強しているのか。それは、私の進む道にそれが必要だと認識したからである。そのような考えは、今までの私からは、決して出てこないように思う。神様がそれを示してくださったのだと思う。中小企業診断士の試験は、8月初めなので、1ヶ月に1教科のスピードで勉強して行かなければならない。そして、この2月は、経済学の勉強期間だったのだが、半分も進まなかった。先日は、ひょんな成り行きから会社で、定年後は再雇用社員としては残らないことを表明してしまった。そこで、もう後に引けなくなり、帰宅してから神様にすがるようにしてしばらく祈った。それから教科書と向き合うと、なんと不思議なほど勉強が頭に入るではないか。ちっとも眠くならないし、なんと経済学は面白いと思えてきた。ここに何か真理があるのではないか。自分の嗜好は自分で決めるものだと信じてきたが、実はそうではなく、自分の嗜好や得意分野は、実は自分を造られた神様の方が良くご存知で、すべてを神様にゆだねたときに、初めて自分がどういう器であり、どのように神様に従い、その栄光を現すことができるのかを知ることができるのではないだろうか。神様は、いま私に、「焦る必要はない。時間は、私が丁度良くあなたに与えているから、心配しないで行きなさい。」と語ってくださっているような気がする。

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2013/01/25

キャリアデザイン

 自分のキャリアデザインを考えるとき、すでに持っている資格や技術を基に構成するのが普通かもしれない。私もこれまではそうであり、定年を間近に控えて、最近までそのように考えていた。そして想定したのが、ソフトウェアの導入コンサルティング業である。中小企業を対象にして、オープンソースを主体に、情報化の推進による企業効率の向上を売り物にして、独立開業しようというものである。しかし、どうも心もとないのは、相手の業務やニーズが良く分からないことである。そもそも何のための情報化なのか、会計処理の効率化だとすれば、私は会計処理を理解していなければならないし、中小企業の会計における諸問題に精通している必要がないだろうか。あるいは、事務の効率化にしても、企業の事務にはどのようなものがあり、何と何をシステム化すれば事務が総合的に効率化されるのか、またその可能性はどこまで追求可能なのか。そのようなことが分かってこそコンサルティングと言えるのではないか。そう考えると、自分が持っている資格だけでは、十分なキャリアを構成できないと思えてくる。
 そこで、まるっきり視点を変えて、「神様は、自分に何を望んでいるのだろう」と考えると、やはり日本の企業、特に中小企業が強くなるお手伝いができるような、汗水流して必死で働いている方々に、「良くなったよ、本当にありがとう」と言ってもらえるような仕事ではないかと思えるのだ。そこで、自分にあと何の資格が必要だろうかと考えて、「中小企業診断士」と思い当たった。これは、経営コンサルタントの資格だから、企業の諸問題の改善を総合的な観点から行えるし、何よりも、「経営」という観点でアプローチできることにより、その企業が本当に儲かる会社になるために様々な提案ができると思うのだ。そして、自らも会社を経営するときに、大いに役に立つ。そのようにして、社会のマーケットプレイスに本腰で参入することができれば、そこで神様を証しすることもできるようになるに違いない。しかし、どうやってその資格を取るのか。それは、とにかくがむしゃらに勉強して試験の準備をするしかない。あとは神様が導いてくださる。神様が望んでおられると信じてそれを歩むなら、神様が導いてくださり、必ずそれを実現してくださるに違いない。
 そう考えてきて、はっと気がついた。そういえば、神様は私に、技術者としての経験だけでなく、5年ほど、営業本社でコンサルティングの仕事をさせてくださったっけ。提案書もたくさん書いたっけ。それから、地元においても仕事を受注し、自らそれを手がけ、商工会議所に出入りしたり、異業種交流会や、年頭には賀詞交換会にまで出席して、たくさんの名詞を集めさせてくださったのだった。それはきっとこれからの自分の進路のためだったのだと思う。あと、外国にも仕事で10回以上も行かせてもらったっけ。それもきっとなにかの準備だったんだろうか。

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