2011/01/18

KJVを読んでみて

 まず気がついたこととしては、創世記1章において、「waters」と水が複数形で記されていることだ。これは、日本語訳には現れてこないことだ。それから、細かく見て行くと、この章は、各節の先頭に、ほとんど必ずと言えるほど「And」が置かれて、それによって各節がつながれているということだ。しかし、どうもこれらの「And」が全部同じ意味だとは思えない。「そして」、「それから」、「したがって」、「だから」、「それと」、等々、日本語にはいろいろな訳し方ができるのではないか、そして、そうしなければならないのではないかと思えるのだ。あと、「Let there be a firmament」とか「Let the waters bring forth abundantly the moving creature」の「Let」という言葉も気になる。何か意図的なことを感じるのだ。それから、神さまが造られた動物や人間たちに、「地を満たせ」と言っている行に、「replenish」という言葉が使われる。これは、「再び満たす」と訳せる。
 それから、それから、そもそも、この創世記1章の意味は、まるで分からない。「初めに、神が天と地を創造した」と新改訳聖書に言われており、2節には、再び「地は形がなく、何もなかった」と言われ、その同じ節で再び、「やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」と言われ、確かに何かが存在することが言われている。この1節、2節だけでも、頭をかきむしりたくなるほどの混乱である。この「動いていた」と訳されている動詞は、KJVでは、「moved」つまり「動いた」となっている。これを「動いていた」と訳すこともできるかも知れないが、私はどうしても「動いた」と訳したくなってしまう。すると、これまで混沌として、静止状態だった天地の始まりに、急に生気が宿ったようになるのではないか、そしてこれが求められているものなのではないか。そんな風に思えたりする。
 まあ、とにかく、KJVを読むことは、そして、それを日本語にして見ることは、これまででもっともスリリングなことではないかと思ったのである。

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2011/01/15

KJV翻訳の意図

 どうも比較的最近の翻訳聖書は、あまり良くないらしい。一説によると、アレキサンドリア写本の底本というものから訳されており、これにはイエス・キリストの神性に関わる多くの言葉が削除されているという。福音諸派で多用されている新改訳聖書もロックマン財団の資金援助を受けて、この写本を使い、その指導の下に翻訳されたらしい。それゆえ、後になってロックマン財団が新改訳聖書の版権を主張し、日本から多額の和解金を受け取ったという。
 詮索は、これくらいにしておくが、そのような中、キング・ジェームス訳は、信頼できる原典を用い、今日に至ってもその価値にゆるぎないものがあると言われている。そこで、このキング・ジェームス訳を詳細に読んでみたくなった。そして、どうせなら、ただ読むだけでなく、日本語に訳してみたらどんなものだろうと思った。たしかに、私のような知識のない者が訳して、神聖なる神の言葉に、何か付け加えたり、削除したりしてしまうことになるのは危険でもあるが、それをもって新しい聖書を出版しようということでもない。聖書を良く理解するために、自分の国の言葉で表現してみようという、つまり研究という位置づけであるなら、それもあるいは許されるのではないかと考えた。
 そこで、この翻訳を読まれ、間違えに気づかれた方からは、速やかにコメントをいただき、間違えを正していただければ、非常にありがたいし、そのことをきっかけに、自分も少しは生長できるのではないかと思う次第である。

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