2016/12/22

間柄

Bike バイクからは、色々と教えられることも多い。例えば、バイクは後輪で曲がるということすら以前は知らなかった。しかし、自分の体重と併せて300kgを超える重量を前輪だけで受け止めて曲がるというのは、実は危険極まりないことらしい。むしろ、傾いた後輪で路面を蹴ることにより、円周方向の動力を発生させて、前輪を中心に車体を回転させるようにして曲がって行くのが安全なのである。それから、左右の体重移動によるステップへの荷重も曲がるためには重要なことらしい。それから、曲がって行く方向へ顔を向けること等々、バイクと付き合うには多くのマナーがあり、それらを守ることがバイクと親密な間柄になることに繋がる。そんなある意味で忙しい乗り物でありながら、乗って走っていると心が落ち着き、今まで混乱していた胸の内がすっきりと整理されてくるのは、やっぱりただの機械ではなく、生きた友達と言えるように思う。だから、ツーリングには独りで行くのが一番だ。本などで興味ある場所を見つけたら、すぐに本を閉じて発信、しばらくの後にはもうその場所にいる。埼玉だから。そして、Uターンして帰宅後は、家内が帰って来る前に洗濯物を取り込んで畳んでおく。そんなフットワークの良いところも魅力の一つなのかもしれない。

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2015/06/28

林道の魅力

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 今日は、初めて林道に入ってみた。夕方からの出発だったので、明るいうちに帰れるか少し心配でもあった。鎌北湖の縁を走りぬけると林道の入り口がある。この林道は、完全舗装の走り易い道らしいので、勇気を出して乗り入れた。うわさの通り、割と快適な道であったが、それでも林道。道にひび割れや落石らしいものもあり、走っているときは気を抜けなかった。何せ、林道では何が起こるかわからないということで、私のバイクなどは、狭い場所や坂道の途中ではユーターンできないため、一度入ったら最後まで走り抜けなければならない覚悟が必要である。途中の見晴らしの良いところで写真を撮っていたら、一台のオフロードバイクが通り過ぎて行った。走っていくうちに、そのバイクが止まっていたので、何かトラブルかと思ったら、その人が小さな動物にちょっかいを出しているようであった。良く見ると、それは、小さな狸だった。降りて見る余裕もなく通り過ぎ、さらに山奥に分け入ったが、途中で越生梅林に降りる分岐点に行き当たり、そこから下って越生駅を経て、日高を抜けて帰ってきた。ちょっとスリルがあり、なんか病みつきになりそうな気がした。

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2015/04/29

代車ツーリング

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 このオバキューみたいな乗り物は、ビッグスクータと言って、いつも乗っているバイクが車検に入ったために代わりに借りているものである。今日は、久しぶりの休日で、秩父を通って県境を越えて少し群馬県に入ったところにある神流町を通るいつものツーリングコースを走ってきた。ここを走るときは、鯉のぼり祭りに出会うことが多い。今回もそれをやっていて、バイクで駐車場に入ろうとしたところ、300円といわれてあわててユーターンした。次の交差点を右に曲がったところ、鯉のぼりのど真ん中に出て、その雄大な泳ぎを目の当たりにすることができた。小高い山の麓から天辺まで張り渡した綱にたくさんの鯉のぼりが結び付けられて風になびいていた。その下を神流町のすばらしくきれいな川が流れていて、鯉のぼりの泳ぎとハーモニーを作り出していた。ビッグスクーターの運転にも段々慣れてきて、楽しくツーリングを続けることができたが、最後の方では、シートの精でお尻が痛くてたまらなくなり、足をステップの前に置いたり、後ろにしたりして、なんとか家まで帰ってきた。やっぱりツーリングは、自分のバイクに限ると思った。

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2015/04/26

良い天気だからちょっと散歩に

Img_2107 今日は、あまりに良い天気だったこともあり、午後から少し走りに出かけた。今日は、家内が長女とデートで、夕飯も食べてくるということで、私は一人でどこかで食べることになった。そんなわけで、いつものように長瀞を回って、寄居や嵐山を経由するスタンダードな散歩コースを走ることもできたが、このところ体が疲れているのか、それも億劫になり、上名栗を通って正丸峠を経て芦ヶ久保の道の駅で折り返して、横瀬を通って帰ってきた。このコースは、急カーブの峠越えがあるので苦手にしていたが、最近はバイクに慣れてきたこともあり、時々通るようになってきた。上名栗には、どういうわけか合掌造りの家が立ち並んでいる。この写真は県道沿いに建つものだが、他にもあるらしい。この山奥では雪が深いからだろうか。そんなことは無いだろう。ここは、埼玉県なんだから。では、どうして合掌造り?インターネットで調べたところ、どうも観光的な配慮からのように思えた。新築の合掌造りが売りに出されていたからである。

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2014/08/02

久しぶりのツーリング

Kannna 今日は、本当に久しぶりにちょっと遠くまでツーリングに出かけた。と言っても、何度か行った隣県の神流町あたりまでである。秩父を抜けて299を北へひたすら走り、群馬県に入ったあたりで462とぶつかったら右に折れて、今度は462をひた走る。すると254にぶつかるのでそれを右折して戻ってくるという単純コース。これは、いくつかある日帰りツーリングコースレパートリーの中で2番目に長い5時間コースである。すばらしい景色と気持ちいいワインディングがふんだんに散りばめられている。ツーリングは、もちろん周りの景色を眺めながら走るのが何よりも楽しいのだが、それと共に、愛車との対話のようでもある。でも、何を話すでもなく、スロットルを開けたときの加速やカーブでのタイヤの接地、ブレーキの感触等を一つ一つ味わって行くだけである。それらを延々と繰り返すだけなのだが、それはただ単調なだけではなく、いつもどこか微妙に異なっているのが、飽きない会話のようである。それに、こちらも少しずつではあるが、運転が上達して行くので、それにつれて会話もまた深みを増していくというものだ。朝から晩までパソコンの前に座っている仕事柄、この会話は、何とも癒される時間なのである。行きの道の駅芦ヶ久保でトイレと水分補給。途中の万葉の里という道の駅で天ざるを食べて小休止。最後の254に入ったところのマックで小休止。あとは、ひたすら走っていた。朝の9時半ごろ家を出て、3時過ぎには家に戻った。190キロのツーリングであった。満足満足。

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2014/05/01

河原の共演

Dsc03139 今日もまた、河原へやってきた。ここへは、エンジンで乗り入れることはできないので、300mほどバイクを押して歩かなければならない。そんなことしてまでここに来る人は、どうも私以外にはいないらしいが。それでも、ここに停めて、河原に座っていると、さわやかな風が顔をなぜていく。そして、ため息をついたころに、いろんな音が聞こえているのに気づく。この日は、浅瀬を鮭くらいの大きさのサカナがピチャピチャと背びれを見せながら進んで行くのが見えた。卵を産んでいるのかもしれない。ここって、そういうとこなんだなと思って、またため息をついた。それから、岸辺の潅木には、なにか名前のしらない鳥が、とても流暢な声で歌を歌っている。遠くの橋からは、ほんのかすかに、渡っていく車の音が聞こえるようだ。そして、私の後ろを通っていく、犬をつれた人の足音。犬の息遣いの音。自転車で通り過ぎるときのタイヤとチェーンのきしむ音。遠くから声を掛け合っている人。そんな様々な音が、まるで示し合わせたように、絶妙のタイミングで共演をしているかのようだ。しばらく、そんな雰囲気を楽しんでから、またしばらく草の上をころがして、自転車専用道路を押して通り、石ころと砂が敷き詰められたような道に出たらそこでやっとまたがってエンジンをかける。快い疲れに風を受けながら、穴ぼこを右に避け、左に避けながらやっと舗装道路に出て、小走りに家へ帰って行くという寸法だ。

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2014/04/06

富士山は、やっぱりすごいなあ

Dsc03015 ツーリングに行きたくても、とても時間がとれないことがある。そんなときは、ほんのちょっとの時間を使って、近くの川原へ走る。今日は、寒くて風も強く、人気がほとんどなかった。迎えてくれたのは、雄大な姿の冨士。ここ川越からでも良く見える。本当は、こんなに大きくは見えないのだが、人間の目の機能はすばらしく、遠くからでもその雄大さを十分に味わえる。その感じを写真に撮る方法はないかと考え、愛車の後ろに遠く離れ、そこからズームを使って撮影してみた。

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2014/03/31

Dsc02990 峠で日が暮れてきた。このまま走りすぎようかと思ったが、あんまり夕日がきれいだったので、ちょっと停めて一休み。地図の上では、近かったんだが、走ってみると、三角形の頂点を通っていく関係上、思いのほか時間がかかるものだ。カーブも多くてスピードが出せないことも影響しているのだろう。暗くなってくると、段々と自分の居場所がなくなってくるように思うのはどうしてだろう。本当は、自分はこんなところに来る資格なんて無いなんて思えてくる。ここには、れっきとした住民がいるのだから。森の動物たちや、いつもここを通って生活している人たち。それにくらべて自分は、通りすがりのよそ者である。暗闇が忍び寄ってくるとき、そんな思いも偲び寄ってくる。それじゃあ、僕がいるところはどこだろうか。そう、毎日の会社と自宅の行き帰り。そこに僕の住むところがある。そこに帰って行こう。一人で道を走っているとき考えることは、やっぱり自分が普段生きているところ、そこを外から見つめているのかも知れない。

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2013/11/16

久しぶりの江ノ島

Dsc02138 最近、信仰の恩師が心臓の手術をしたと聞いて、葉山まで見舞いに行った。家を朝9時に出て、病院に着いたのが12時5分前。面会は1時からということなので、近くの海まで食事に行くことにした。10分ほど走ると、海のそばに素敵なレストランがあった。Dsc02125_2 食事のあとは、しばらく海岸に車を停めて、海を眺めた。病院に戻り、病室を訪ねると、恩師は、思いのほか元気で、あと5日ほどで退院、いまリハビリ中ということで少し安心したが、見せてもらった胸の手術跡は、とても痛々しかった。Dsc02129 それから、海沿いを北上して江ノ島に上陸。小中高と横浜に住んでいたとき、よく由比ガ浜に海水浴に来たものだった。そのころの江ノ島は、ちょっとマイナーな雰囲気だったが、今日はとても人が多く、陽気な感じだった。そこから467を北上したが、この道は至るところで渋滞があり、あまり得策ではないことが分かった。我慢に我慢を重ねて16号線にぶつかり、あとは一本道で家まで帰ってきた。

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2013/10/19

恐竜王国

Dokoku 今日は、朝から雨がポツポツ来ていたが、昼近くに止んで明るくなってきたので、思い切ってツーリングに出かけた。国道299号線で秩父を抜け、小鹿野を通って群馬県の中里町に出た。そこは、「恐竜王国」だということである。なるほど、299号線に面して、恐竜の足跡のついた大きな岩が大胆に露出していた。その前を通り、トイレ休憩をしたところが、恐竜をあしらった公衆トイレ。その隣が、恐竜発掘体験スペース。さらにそこから7kmほど行き、神流町に入るとそこに、「恐竜センター」がある。Kyoryu そこには、モンゴルの恐竜が展示されているというので、入ってみてびっくり。会社の業務でモンゴルへ出張したときにみた、あの「喧嘩する恐竜の化石」がそのままに展示されているではないか。これは、ノアの大洪水の動かぬ証拠であるだけに、再会の感動もひとしおであった。しかし、展示の説明を良く見てみると、「レプリカ」と記されていた。それにしても、あのデリケートなものを良くここまで瓜二つに再現したものだと思い、そちらに感心した。Back この辺は、山から石灰岩が採れるらしい。秩父の武甲山よりも平らに頂上を削り取られた叶山が間近に見える。それから、462号線を一路本庄方面へ。神流湖を過ぎて、ようやく国道254に突き当たり、近くのマックに立ち寄り、ハンバーガーとコーヒーで一息。それから家までノンストップで帰る。川島町あたりでポツポツ降り始めた雨が、だんだんとひどくなり、川越に入ったころには、本降りになった。でも、防水のジャケットを着ていたので、快適に家までたどり着くことができた。


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