2018/04/29

なにもかもが・・・

Naguri 思い通りに行かないときがある。そんなときは、バイクに乗るのも億劫な気分になる。でも、思い切ってエンジンを掛けて走り出す。いつもよりゆっくりと、噛みしめるように走っていく。アスファルトの道路を走りながらつぶやく、「イエスさま、今日は最低の気分です。本当にいやになります。どうしてこんな状態なんでしょうか。」すると心の中に、「例えば、どんなことかな。」と言われたように思う。「そうですね、昨夜は、夜中の1時まで働きましたが、何も解決しませんでした。それから、私の体も壊れかけています」、すると、「でも、今日は解決できるかも知れないじゃないか。それから、体もだめになったわけじゃないだろう」「そうですか、そうかも知れませんね」、「それからあと何が問題なんだ?」、「ええと、今はそれくらいですかね」。そうやってしばらく走って、もう山里に入るころには、不思議と心が元どおりになっているのに気づく。「そうですねイエスさま。もう一度頑張ってみますよ。」なんだか、自分があのときのペテロになったように思った。

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2018/01/08

冬の上名栗

Naguri 名栗には、良く行く。とても気軽に行ける、近くて遠いところ。ちょっと気が向いたら、お気に入りの道をしばらく走ると、もうそこはすっかり山里の中。前方には、すばらしい山並みの風景が広がり、走って来た後ろの道は、もう山に遮られて見えない。征圧するような何物も無く、語りかけて来るものもない。ただ、私がそこに分け入るのを黙って許してくれる場所。かといって、優しいわけでもない。私がそこにいてもいなくても、まったくお構いなし、そんな場所がここにある。
 秋ごろに来たときも、ここには寒桜が咲いていた。そして、今日になっても、まだ咲いている。何という花だろう。変わらないことは、ひとつの素晴らしさだと思う。その可憐さを撮っておこうと、ポケットからiPhoneを取り出して、カメラを起動したが、寒さでシャッターが下りない。そんなことも、良くあること。しばらく懐に入れて、温めてから取り出したが、やっぱりだめだった。この風景を撮る前に、寒桜を撮るんだった。いつも、そんなたわいない後悔を置き去りにして、帰路につく。今日も、まったく同じことをしてしまった。でも、それがまた、なんだか少し嬉しくもあった。

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2017/09/30

革ジャケット

Kawajan 2年前に買った革のライディングジャケット。ちょっと気に入らず、これまでほとんど着ることもなかったけど、秋になって、乗っていて少し肌寒さを感じてきたので、思い切って出して着てみた。
 割と安かっただけに、革が硬く、身につけると、私がジャケットを着ているのか、ジャケットが私を着ているのか、分からなくなる。つまり、ジャケットと言うものは、私の体に合わせて馴染んでくれるのが普通だと思うのだが、これは、それを着るために、私の体がジャケットの形に変形しなければならないようで、とても窮屈で苦痛を伴う。しかし、ライダーが危険から身を守るための最適な鎧のようにも思われる。
 でも、少しづつ着慣れしてきているようで、今日は、歩いていてなんだかこの窮屈さが快感に思えるようになった。もしかすると仕事で、もっと大きな重圧を受けているためなのかも知れない。

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2016/12/22

間柄

Bike バイクからは、色々と教えられることも多い。例えば、バイクは後輪で曲がるということすら以前は知らなかった。しかし、自分の体重と併せて300kgを超える重量を前輪だけで受け止めて曲がるというのは、実は危険極まりないことらしい。むしろ、傾いた後輪で路面を蹴ることにより、円周方向の動力を発生させて、前輪を中心に車体を回転させるようにして曲がって行くのが安全なのである。それから、左右の体重移動によるステップへの荷重も曲がるためには重要なことらしい。それから、曲がって行く方向へ顔を向けること等々、バイクと付き合うには多くのマナーがあり、それらを守ることがバイクと親密な間柄になることに繋がる。そんなある意味で忙しい乗り物でありながら、乗って走っていると心が落ち着き、今まで混乱していた胸の内がすっきりと整理されてくるのは、やっぱりただの機械ではなく、生きた友達と言えるように思う。だから、ツーリングには独りで行くのが一番だ。本などで興味ある場所を見つけたら、すぐに本を閉じて発信、しばらくの後にはもうその場所にいる。埼玉だから。そして、Uターンして帰宅後は、家内が帰って来る前に洗濯物を取り込んで畳んでおく。そんなフットワークの良いところも魅力の一つなのかもしれない。

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2015/06/28

林道の魅力

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 今日は、初めて林道に入ってみた。夕方からの出発だったので、明るいうちに帰れるか少し心配でもあった。鎌北湖の縁を走りぬけると林道の入り口がある。この林道は、完全舗装の走り易い道らしいので、勇気を出して乗り入れた。うわさの通り、割と快適な道であったが、それでも林道。道にひび割れや落石らしいものもあり、走っているときは気を抜けなかった。何せ、林道では何が起こるかわからないということで、私のバイクなどは、狭い場所や坂道の途中ではユーターンできないため、一度入ったら最後まで走り抜けなければならない覚悟が必要である。途中の見晴らしの良いところで写真を撮っていたら、一台のオフロードバイクが通り過ぎて行った。走っていくうちに、そのバイクが止まっていたので、何かトラブルかと思ったら、その人が小さな動物にちょっかいを出しているようであった。良く見ると、それは、小さな狸だった。降りて見る余裕もなく通り過ぎ、さらに山奥に分け入ったが、途中で越生梅林に降りる分岐点に行き当たり、そこから下って越生駅を経て、日高を抜けて帰ってきた。ちょっとスリルがあり、なんか病みつきになりそうな気がした。

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2015/04/29

代車ツーリング

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 このオバキューみたいな乗り物は、ビッグスクータと言って、いつも乗っているバイクが車検に入ったために代わりに借りているものである。今日は、久しぶりの休日で、秩父を通って県境を越えて少し群馬県に入ったところにある神流町を通るいつものツーリングコースを走ってきた。ここを走るときは、鯉のぼり祭りに出会うことが多い。今回もそれをやっていて、バイクで駐車場に入ろうとしたところ、300円といわれてあわててユーターンした。次の交差点を右に曲がったところ、鯉のぼりのど真ん中に出て、その雄大な泳ぎを目の当たりにすることができた。小高い山の麓から天辺まで張り渡した綱にたくさんの鯉のぼりが結び付けられて風になびいていた。その下を神流町のすばらしくきれいな川が流れていて、鯉のぼりの泳ぎとハーモニーを作り出していた。ビッグスクーターの運転にも段々慣れてきて、楽しくツーリングを続けることができたが、最後の方では、シートの精でお尻が痛くてたまらなくなり、足をステップの前に置いたり、後ろにしたりして、なんとか家まで帰ってきた。やっぱりツーリングは、自分のバイクに限ると思った。

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2015/04/26

良い天気だからちょっと散歩に

Img_2107 今日は、あまりに良い天気だったこともあり、午後から少し走りに出かけた。今日は、家内が長女とデートで、夕飯も食べてくるということで、私は一人でどこかで食べることになった。そんなわけで、いつものように長瀞を回って、寄居や嵐山を経由するスタンダードな散歩コースを走ることもできたが、このところ体が疲れているのか、それも億劫になり、上名栗を通って正丸峠を経て芦ヶ久保の道の駅で折り返して、横瀬を通って帰ってきた。このコースは、急カーブの峠越えがあるので苦手にしていたが、最近はバイクに慣れてきたこともあり、時々通るようになってきた。上名栗には、どういうわけか合掌造りの家が立ち並んでいる。この写真は県道沿いに建つものだが、他にもあるらしい。この山奥では雪が深いからだろうか。そんなことは無いだろう。ここは、埼玉県なんだから。では、どうして合掌造り?インターネットで調べたところ、どうも観光的な配慮からのように思えた。新築の合掌造りが売りに出されていたからである。

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2014/08/02

久しぶりのツーリング

Kannna 今日は、本当に久しぶりにちょっと遠くまでツーリングに出かけた。と言っても、何度か行った隣県の神流町あたりまでである。秩父を抜けて299を北へひたすら走り、群馬県に入ったあたりで462とぶつかったら右に折れて、今度は462をひた走る。すると254にぶつかるのでそれを右折して戻ってくるという単純コース。これは、いくつかある日帰りツーリングコースレパートリーの中で2番目に長い5時間コースである。すばらしい景色と気持ちいいワインディングがふんだんに散りばめられている。ツーリングは、もちろん周りの景色を眺めながら走るのが何よりも楽しいのだが、それと共に、愛車との対話のようでもある。でも、何を話すでもなく、スロットルを開けたときの加速やカーブでのタイヤの接地、ブレーキの感触等を一つ一つ味わって行くだけである。それらを延々と繰り返すだけなのだが、それはただ単調なだけではなく、いつもどこか微妙に異なっているのが、飽きない会話のようである。それに、こちらも少しずつではあるが、運転が上達して行くので、それにつれて会話もまた深みを増していくというものだ。朝から晩までパソコンの前に座っている仕事柄、この会話は、何とも癒される時間なのである。行きの道の駅芦ヶ久保でトイレと水分補給。途中の万葉の里という道の駅で天ざるを食べて小休止。最後の254に入ったところのマックで小休止。あとは、ひたすら走っていた。朝の9時半ごろ家を出て、3時過ぎには家に戻った。190キロのツーリングであった。満足満足。

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2014/05/01

河原の共演

Dsc03139 今日もまた、河原へやってきた。ここへは、エンジンで乗り入れることはできないので、300mほどバイクを押して歩かなければならない。そんなことしてまでここに来る人は、どうも私以外にはいないらしいが。それでも、ここに停めて、河原に座っていると、さわやかな風が顔をなぜていく。そして、ため息をついたころに、いろんな音が聞こえているのに気づく。この日は、浅瀬を鮭くらいの大きさのサカナがピチャピチャと背びれを見せながら進んで行くのが見えた。卵を産んでいるのかもしれない。ここって、そういうとこなんだなと思って、またため息をついた。それから、岸辺の潅木には、なにか名前のしらない鳥が、とても流暢な声で歌を歌っている。遠くの橋からは、ほんのかすかに、渡っていく車の音が聞こえるようだ。そして、私の後ろを通っていく、犬をつれた人の足音。犬の息遣いの音。自転車で通り過ぎるときのタイヤとチェーンのきしむ音。遠くから声を掛け合っている人。そんな様々な音が、まるで示し合わせたように、絶妙のタイミングで共演をしているかのようだ。しばらく、そんな雰囲気を楽しんでから、またしばらく草の上をころがして、自転車専用道路を押して通り、石ころと砂が敷き詰められたような道に出たらそこでやっとまたがってエンジンをかける。快い疲れに風を受けながら、穴ぼこを右に避け、左に避けながらやっと舗装道路に出て、小走りに家へ帰って行くという寸法だ。

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2014/04/06

富士山は、やっぱりすごいなあ

Dsc03015 ツーリングに行きたくても、とても時間がとれないことがある。そんなときは、ほんのちょっとの時間を使って、近くの川原へ走る。今日は、寒くて風も強く、人気がほとんどなかった。迎えてくれたのは、雄大な姿の冨士。ここ川越からでも良く見える。本当は、こんなに大きくは見えないのだが、人間の目の機能はすばらしく、遠くからでもその雄大さを十分に味わえる。その感じを写真に撮る方法はないかと考え、愛車の後ろに遠く離れ、そこからズームを使って撮影してみた。

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