2010/06/20

トリーハ

セゴビヤの演奏は、無音の奇蹟と言われた。トロバの曲は、まさにセゴビヤ奏法により、水を得たように躍動する。日本人には、ちょっと異質に聞こえるかもしれないが、中世ヨーロッパの匂いのするすばらしい曲だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/03/14

サラバンド

 バッハは深い。人生が、世界が、宇宙が、大げさに言えばだが、そこに内包されているようだ。バッハを弾くとき、ごまかしはきかない。自分の力以上のもの、自分の人生以上のものをそこに表現することはできない。バッハを弾くとき、バッハを弾くことができない。自分を弾いてしまう。そして、ただそれだけにしかならない。それ以上、どうしようもないのだ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

聖母と御子

 この曲は、愛すべき曲である。
とにかく、そのように表現するしかない。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/03/10

ワルツ

 ワルツとは言えないような3拍子の曲である。その透き通った和音から、ソルだということがすぐに分かる。この曲は、簡単なのだが、どうも間違えずに弾くのが難しい。なめてかかるからだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/02/24

前奏曲

タルレガの作品の中で、ずばぬけて美しいのが前奏曲である。これらは、まるで宝石のような輝きを放っている。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/02/23

アンダンテ

ビバルディが、ギター曲を書いたのだろうか。それにしても、この曲はギターに良くあっているように思う。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/02/20

アデリータ

アデリータとは、女性の名前だろうか。しかしこの曲には、何か神秘的な響きがある。最初のテーマは、3番目の音にアクセントがある。そしてまた次の3番目、さらに次の3番目、そして、テーマの繰り返しでは、今度はアクセントは、1番目の音に移る。これは、きっとなにか深い神秘を現わしているように思える。展開部では、それと打って変わってなんという慰めのメロディーが流れるのだろう。そしてまた再び、現実に引き戻される。現実の神秘に。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2つのギター

ギターの二重奏は、弾くのが楽でとても楽しめる。でもいっしょに弾いてくれる人はいない。そこで、伴奏君という機械のお世話になる。楽譜を自分でMIDIに入力して、それをフロッピーにいれて伴奏君にセットすると、その名の通り、伴奏を弾いてくれる。二重奏では、第二ギターを弾いてくれるのだ。たかが機械といっても、侮れないものがある。二重奏には、民謡なんかがとても合うような気がする。とくにジプシー民謡なんかは。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010/02/18

練習曲

ソルのことを「ギターのモーツアルト」と私は呼ぶ。その気性の荒さまで、まさにモーツアルトそっくりだからだ。そしてまた、彼の曲ほど、気品の高いものはない。しかも、人の心の深いところを心にくいまでに表現している。彼は、ギターを弾くとき、爪を使わなかった。指頭奏法という、彼独特の奏法で彼が作曲した曲は、まさに爪を使わずに演奏したときに彼本来の曲となるのだ。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

ロマンス

この曲は、たぶん団塊の世代の人たちにとって、あこがれの曲だろう。ギターと言えばこの曲であった。最初は、人差し指と親指だけで、弦をなでるようにして弾いていたが、そのうち、アルペジオという高度な技法を使うことができるようになった。それは、和音を分散して弾くのであり、一本一本の指がそれぞれ一つの音を受け持ち、それらがすべて音質的にも音量的にも調和した響きを作り出すのである。この曲は、その難易度に比して、なぜか中級にランク付けされている。それをギターを持ったばかりの人々の誰もがいきなり弾きたいと思っていたところに、古き良き時代のロマンを感じる。現代においては、このような心温まるロマンが少なくなってしまったのではないだろうか。何もかも、その可能性と限界が計算しつくされているような世界が実現しつつある。しかし、そのような世界の中に、神の与えられる可能性がある。神の視点から見た時に、無限の可能性がまだ残されているのをこの曲を弾きながら確認するのである。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

おみやげの写真 | そうじゃな~い! | たわいのないものたち | とりとめのない話 | イザヤ書研究 | エズラ記研究 | エゼキエル書研究 | エックハルト研究(参考文献:「エックハルト説教集」 田島照久編訳:岩波文庫) | キリスト信仰の体験記 | キリスト教の疑問 | キルケゴール研究(参考文献:「死に至る病」:斉藤信治訳:岩波文庫) | サムエル記上研究 | サムエル記下研究 | ドン・キホーテ前篇(一) | ニーチェ研究(「ツアラトストラ(上)」より) | ネヘミヤ記研究 | ビジネスマンへの道 | ブルトマン研究(著書:「イエス」より) | ボンヘッファー研究(「共に生きる生活」より) | マクグラス研究(歴史のイエスと信仰のキリスト:近・現代ドイツにおけるキリスト論の形成) | マタイの福音書研究 | マルコの福音書研究 | ヨハネの福音書研究 | ヨブ記研究 | ルカの福音書研究 | レビ記研究 | ローマ人への手紙研究 | 主イエスのしもべ | 人生の問い | 伝道メッセージ | 使徒行伝研究 | 六弦 | 出エジプト記研究 | 列王記上研究 | 列王記下研究 | 創世記研究 | 情報宣教方法論 | 新改訳聖書に関する疑問 | 新約の時代 | 新約聖書研究 | 歴代誌上研究 | 歴代誌下研究 | 死人がよみがえる | 民数記研究 | 病人をいやす秘訣 | 私のたからもの | 続・エックハルト研究(福音信仰からの光) | 続・ニーチェ研究(「ツアラトストラ(下)」より | 続・ブルトマン研究(ヨハネの福音書) | 続・ボンヘッファー研究(「行為と存在」より) | 続・マタイの福音書研究 | 続・新改訳聖書に関する疑問 | 続・続・エックハルト研究(批評) | 続・続・続・エックハルト研究(信仰の刷新を求めて) | 続・続・続・続・エックハルト研究(キリストのうちに自分を見いだす) | 続・続・続・続・続・エックハルト研究(神の子とされる) | 続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(神に仕える) | 続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(神に知られる) | 続・続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(神秘主義の光) | 続・続・続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(神との合一) | 続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(認識の光) | 続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(変容) | 続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・続・エックハルト研究(王) | 聖書に関する随想 | 聖書の実装 | 聖書の矛盾研究(「バカダークファンタジーとしての聖書入門」を読んで) | 聖霊の賜物を受ける | 解析学研究 | 詩篇研究 | 道を走る | 遠藤周作研究(「沈黙」より) | 野の花 | KJV翻訳:その意図 | KJV翻訳:創世記