2010/02/18

第4章

 神はモーセとアロンに、再びレビ人の人口調査を命じられた。しかし今度は、臨在の幕屋における仕事に従事することのできる35才から50才までの人が対象であった。
 レビ族は、ゲルション、ケハト、メラリの3つの家系からなり、モーセとアロンはケハトの家系に属する。そこで、ケハトの氏族は、契約の箱を含む幕屋の聖なる祭具の運搬に携わることを命じられた。まず、アロンとその子らが祭具類を周到に梱包し、それに担ぎ棒を差し入れる。その後にケハトに属する氏族たちがその運搬に取りかかることになっていた。それは、彼らが聖なるものに直接触れて死ぬことがないためであった。祭具類は、基本的に、それが運用されている状態のままに梱包された。例えば、契約の箱についは、臨在の幕屋においては、聖所の奥、厚い垂れ幕で仕切られた中、至聖所に納められていた。幕屋は様々な布で覆われた外側を防水のためにじゅごんの皮で覆われていた。ちょうどそのように、契約の箱をまず垂れ幕で覆い、その外をじゅごんの皮で包んだ。さらにその外を青い一枚布でくるむのは、青空をあらわしているのだろか。そのようにして、聖所とそこにあった、祭壇を含むすべての祭具類を規定通り梱包した後に、ケハトの子らが来て、それらを運び出すことになっていた。
 ゲルションの氏族たちは、幕屋を覆う諸々の幕とそれらを張るための用具類を畳んで運搬する勤めを与えられた。メラリの氏族たちは、その後に残された壁板や横木、台座等の梱包と運搬を司った。
 それにしても、なんということだろうか。神は、ご自身の選ばれた民に、ご自身の臨在を持ち運ぶことを許されたのである。そして、「私は彼らの直中に住む」と言われた。これは、イエス・キリストを予表するものである。「神が人と共に住み、その臨在が人と共にある」、これは実に、主イエス・キリストにおいて実現したのである。そして、さらにそれは、ペンテコステにおける聖霊降臨において実現し、さらに御子の再臨後に、聖なる都、新しいエルサレムが御子の花嫁として天から下ってくるときに最終的に実現するのである。

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2010/01/21

レビ人

第3章

 神がモーセとアロンに命じられたイスラエル民族の人口調査の際に、レビ人の数を数えることは禁じられていた。彼らは神のものとして聖別されており、神は彼らを一般の人々と同じように扱うことを許されなかったのである。しかしここで神は、今度はレビ人の数を数えて登録することを命じられた。彼らをイスラエル人の長子の身代わりとして、新たに聖別するためである。というのは、人は常に神の御前で生きることが求められるからである。しかし、日常生活においてそれは不可能である。そこでレビ人がすべてのイスラエル人の家の長子の身代わりとなって神の御前に生きることになる。長子は、それぞれの家族の身代わりとなる。この「身代わり」というシステムは、「犠牲」から由来しており、その対象者は、義務遂行能力を持たないことが最初から前提されているので、その部分の義務を免除されているのである。そこで、このシステムが機能するためには、すべてのイスラエル人の家庭の長子がそれぞれ一人ずつのレビ人に対応する必要があったのであり、それゆえにレビ人の数が数えられたのである。しかし調査の結果、273人のレビ人が不足することが分かった。そこで、それらレビ人と対応することができなかった者たちは、それぞれの分に応じた購い金を徴収されることになった。その購い金は、アロンとその子らに与えられ、それによってすべてのイスラエル人の購いが完了したのである。
 しかし神の救いの計画は、全世界に向けられたものであり、イスラエルの外には、歴史を通じて無数の民族が存在する。それらの人々のために、神は新しい祭司、メルキゼデクに等しい祭司を立ててくださった。それは、レビ族の系統にある祭司とは異なり、直接的に天につながる系統にある祭司であり、ヘブライ人への手紙によれば、「神が御自身にかけて誓われた祝福」による購いなのである。

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2010/01/14

宿営と行進

第2章

 イスラエル民族は、広野を旅するとき、神の幕屋の周りに氏族ごとにそれぞれの位置を定めて宿営した。まず幕屋を取り囲むようにレビ族が宿営し、その周りを東西南北にそれぞれ3つづつ、合計12の氏族が位置を定めて宿営するように定められていた。まず東側には、ユダの旗印のもとに、イサカルとゼブルンが、南にはルベンの旗印のもとに、シメオン、ガドが、西にはエフライムの旗印のもとに、マナセとベニヤミン、そして北にはダンの旗印のもとに、アシュル、ナルタリがそれぞれ寄り集まって宿営した。その有り様は、空から見ると、さながらに生けるエポデのようであったろう。
 そのことは、どのような意味を持っていたのだろうか。それは、まず第一に、これが天の神殿の雛形だということである。天国に神殿というものがあるかどうかは分からないが、とにかく神を礼拝するなにがしかの構造体があるとすれば、それがこの広野の宿営の形態なのである。それは、エゼキエルに与えられた神殿の幻とも整合する。そこには、東西南北にそれぞれ3つずつ、合計12の門があり、各門にはイスラエルの12部族の名前が刻まれていた。それはまた、ヨハネの黙示録にも出てくる。そのようにそれは、天国における神を礼拝する構造体を表しているのである。
 次にそれは、民族を統率するための組織構造でもある。神は、イスラエルに12人の子を賜った。そしてイスラエル民族を、そこから輩出する12の部族で組織されるのである。そこで、イスラエルの組織には競争原理は存在しない。そこは、そのような人対人の力関係の社会ではない。それは常に、神と人との1対1の社会なのであり、それはアダム以来変わっていないし、これからも永遠に変わらないばかりか、私たちは、そのような神との関係の純粋な実現に向かって動いているのである。
 最後に、広野におけるイスラエル民族の宿営の形は、一つの街すなわち社会であった。彼らは、宿営しているときだけでなく、広野を行進しているときも編隊をくずさなかったのであった。それは、何も目印や通信手段のない広野にあって、ひとつの確立された住所体系となり、それにより彼らは連絡を取り合い、組織としての、また個人同士の連携を確保したのであった。
 このように、古代におけるイスラエル民族の状態は、天上における種々の形象の雛形だったのであり、それはある意味で、私たちが生きている現在をも越えて、遠い未来における完成された礼拝の姿を予表してるとも言えるのである。

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2010/01/13

人口調査

第1章

 イスラエル民族がエジプトを出てから1年2ヶ月目に、神はモーセに民の人口調査を命じた。その目的は、神が民の数を知るためではなかった。神は、その民の髪の毛の数さえ把握しておられる。それゆえそれは、彼ら自身のためだったのである。第一には、組織化のためである。そのために神はまず、部族ごとに一人ずつ家系の長を指定し、モーセとアロンを助けるようにされた。そのことを手始めに、具体的な組織化を始めることを命じられたのであった。
 数の把握は、すべて直接点呼により行われた。氏族の長から名前を呼ばれた者は、自分が神の聖なる民の一員であることを自覚すると共に、自分たちの統率者が氏族の長であり、その上にモーセとアロン、そして神がおられることを改めて認識したであろう。民の数を数えた彼らは、一つのことを悟った。それは、かつてイスラエル民族の父ヤコブが語った預言の成就であった。それによると、もっとも祝福を受け、子孫を増やしたのはユダ族であり、74,600人であった。ユダは、その行状においては決してほめられたものではなかったのだが、ヤコブからは最も祝福された。ヨセフはヤコブが最も愛した子であり、その二人の子で後にヤコブの子とされたマナセとエフライムの子たちを併せると72,700人となる。ただし兄マナセよりも弟エフライムの方が多かった。その次にダンの62,700人、それからシメオン族は59,300人、ゼブルン族の57,400人、イサカル族の54,400人、ナフタリ族の52,400人、ルベン族は46,500人、ガドが45,650人、アシュル族は41,500人、最後がベニヤミン族で35,400人であった。彼らは、それぞれの氏族の旗を掲げて、幕屋を中心とした定められた位置に宿営した。
 人口調査の次なる目的は、軍隊の編成である。二十歳以上の男子は、兵役につくことのできる者としてその名を登録された。これにより、イスラエル民族は、広野における敵の襲撃にも耐え、自らを防衛できるようになったのであった。
 しかし、レビ族だけは数えられなかった。彼らの斯業は神ご自身であり、神が彼らを直接支配されるからである。彼らは、常に幕屋の周囲に宿営し、祭儀に関することと神の幕屋の警備を任務とした。それは、民が神の聖なるものに直接に触れ、それにより神の怒りが民族に臨むことがないようにするためであった。

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