2008/12/29

検索エージェント

 前論におけるアブラハムやダビデのような、それに対して問いかけることにより様々な結果を得ることのできるような聖書オブジェクトを「検索エージェント」と呼ぶ。利用者は、このオブジェクトに実装されている様々な機能を活用することにより、聖書に関する知識がなくても、信仰的な様々な精神活動を実践することができる。例えば、聖日説教の中で語られたダビデという人に興味を持った人は、このシステムを介して、ダビデという検索エージェントに、マンマシンインターフェースの形態は別として、次のように問いかけることができる。すなわち、「ダビデさん。あなたのことを今日の説教で聞きました。あなたは、いつ頃の人で、どんなことを行われたのですか」。すると、ダビデというオブジェクトは、彼が主体となっている行為オブジェクトをデータベースから検索して、それらの中から特筆すべき彼の業績をその背景や関連する人物も網羅して、順序立てて物語ってくれるだろう。
 つまり、聖書をあまり読んで調べなくても、ダビデに関する一般的な知識から、詳細な知識をその背景まで含めて効率的に得ることができるのである。これは、ダビデという検索エージェントにインテリジェントな機能が実装されているからである。検索エージェントの機能としては、上述のような「自己紹介的な機能」の他に、例えば、「あなたの一番の親友は誰ですか?」というような質問に答える「リクエスト検索的な機能」、それから、「私は今、仕事で困難の中にあります」というような語りかけに対して、「私もこんな困難を経験しました。そして、そのとき神にこのように助けを求めました。それを私は、詩篇のここに記しました。そして神は、私の祈りにこのように答えてくださいました。」というように答える「証し的な機能」等々、様々に考えることができる。いずれにしても、それらは、言語処理システムをインターフェースとして、あたかも利用者が聖書の中の人物と会話しているように操作できるのが理想ではあるが、最初からそこまで行かなくても、とりあえずは、階層的なメニューの中から選択式に自分の意図に近い質問を選択し、それに対する答えもまた階層的な回答として提示され、それらの中から自分のニーズに合った知識を参照するようにすることも可能だろう。この方式に従えば、上記の「自己紹介的な機能」としては、「聖書の人物メニュー」(これは、聖書の書名や章または系図等により階層的になっている)の中から、ダビデを選ぶと、彼のプロフィールが階層メニュー形式で表示され、その中からさらに詳細に知りたい項目をクリックして参照するというような形態である。ダビデの人間関係等もこのプロフィールの階層に包含できる。また、「証し的な機能」についても、階層的なFAQ形式にすると共に、リクエストにより、常に新しい質問を増やして行くことも考えられるだろう。これらに加えて、Webページの得意とするビジュアルな絵や地図、グラフ等を併用することにより、さらに分かりやすいアプローチが可能となるだろう。
 最後に、この検索エージェントの諸機能は、実はダビデという聖書オブジェクトの中に実装されるのではなく、人物という汎用オブジェクト(クラス)の中に実装される。そして、この人物という汎用オブジェクト(抽象オブジェクト)から具体的なダビデとかアブラハムとかパウロとかの聖書に出てくる人物を派生的に生成することで、それらすべての人物オブジェクトに自動的に検索エージェントの機能が実装されるようになる。これもオブジェクト指向設計の利点である。そこで、聖書の実装においては、準備として、上記の「人物」のような抽象オブジェクトの設計がまず必要となるが、それには、従来の神学(特に組織神学)における研究成果が必要である。というのは、人物という抽象オブジェクトの設計は、聖書に即して、人間とは何かを考えることに対応するのだから。

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2008/12/28

聖書を動かす

 聖書の中の諸々の対象をコンピュータに入れるために、それらをオブジェクト化することはすでに述べた。しかし、単にオブジェクト化するだけなら、それは聖書の記述をデータベース化することとあまり違わないかも知れないから、わざわざオブジェクト指向技術を導入するまでもないだろう。しかし、ここで想定されていることは、明らかにそのようなこととは異なり、実際に聖書を動かすことにより、そこから有益な結果を導き出し、それを私たちの信仰生活に応用しようということなのである。
 それでは、聖書を動かすとは、どのようなことなのだろうか。そもそもその目的は、なんなのだろう。それは実は、聖書に書いていないことをそこから得ようという目論みなのである。しかし、聖書に書いてないことを導き出すことは、神を冒涜することになるのではないか。ヨハネの黙示録に、「これにつけ加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる」とあるように、それは危険きわまりないことなのではないか。しかしまた、ヨハネの福音書には、このように書かれている。すなわち、「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある」と。そこで、神に忠実な心で探求することは、あるいは許されることなのかも知れない。
 聖書を動かすとは、具体的には、聖書から必然的に得られる結論を計算によって得るということである。つまり、「アブラハムの一生で、彼がいちばん辛かったときはいつか」というようなことを知ろうとするのである。そしてそれは、聖書を実際に動かしてみることによるのである。例を挙げて説明しよう。
 前論のように、まずアブラハムの行為をすべてオブジェクト化する。それらには、年月日や時間、場所、聖書の書名や章、節等、様々な属性が付加されている。それらに加えて、その行為が引き起こす感情を喜怒哀楽の面から、その標準的な大きさとその後の衰退速度等を数量的に評価して記録する。すると、それらは加算可能となる。つまり、アブラハムの生涯において、それらを時間軸に沿って加算することにより、アブラハムの生涯における喜怒哀楽それぞれの数値の推移がグラフ化できることになる。そこで、アブラハムというオブジェクトに尋ねてみることが可能となる。「あなたの生涯で一番辛かったときは、いつですか」と。すると彼は答えるだろう、「それは、イサクを生贄として捧げよとの神の命令に従って出て行った、あの3日間である」と。アブラハムというオブジェクトは、彼を主体とする全行為オブジェクトを検索し、それを彼の生涯の時間軸に沿って集計し、喜怒哀楽の「哀」の感情が一番高く積算される日時を算出し、その時点で集計されている行為オブジェクトの名称を回答として返したのである。
 この例は、非常に単純な例であるが、例えばダビデの生涯においては、頻繁に戦いがあり、サウルから追われ、味方も少なく、外部には異邦の民が待ち受けていたり、様々な要素が複雑に加算されることになり、そのようなダビデの心の状態をシミュレートすることは、そのころ歌われた詩篇と対照できることをも考慮すると、非常に興味深い結果が期待できるように思う。さらに、そのようにして算出した、対象人物の生涯の興味深い時期に、その対象人物にある行為を通じて働きかけた人物を列挙するようなことや、今度はその働きかけた人物の感情の起伏の、彼の人生における位置づけ等を観察することもまた興味深いことに思われる。そのようにして、聖書に記述されていないことを聖書の記述から算定、推定することは、さながら聖書を深く読むことに匹敵し、例えば100回読まなければ得られない深い考察を、聖書の中のある人物に問いかけることにより、その人物との対話の中で、興味深くそれに気付き、さらにその理由や背景についても、さらなる問いかけにより、新たな知識として提示させることが可能なのである。そのようにして、従来の、聖書を深く読むことによりその文脈の中に新たな真理を発見するという手順とは違う、新しい手順としての、まず対象人物に問いかけて、そこに返される答えに感動し、その後に聖書を深く読むという手順が可能となるのである。

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聖書オブジェクトの概念

 まず、アブラハムを聖書オブジェクトとして定義するために、その構造を考えてみよう。
 彼は人である。これをオブジェクト指向設計では、人という汎用オブジェクト(これをクラスと呼ぶ)を創造し、それからアブラハムを生み出す(派生させる)ことで実現する。彼は、名前、年齢、信仰、罪等々を持っている。これらは、人としてのアブラハムの特徴(属性)である。彼はまた、旅をするという働き(機能)を持っている。彼は、カルデヤのウルから父テラと共にハランに向けて出発したのであった。
 彼には、その他にもたくさんの性質がある。例えば、彼はたくさんの財産を持っていた。しかし、この「持つ」ということをアブラハムの行為として実装したのでは、アブラハムというオブジェクトはすぐにパンクしてしまうだろう。そこで、これを「所有される」と受動的に捉えて、それぞれの所有物の方に一つずつ実装するようにすれば、アブラハムは、それらすべてを軽々と所有できることになる。アブラハムを所有者として持つオブジェクトをすべて集めて来ればアブラハムの持ち物が明らかになるのである。
 同じように、アブラハムの行ったことも、アブラハムというオブジェクトの内部に実装するのではなく、「行為」というオブジェクトを作って、そのオブジェクトの「主体」という属性の内容を「アブラハム」であるとすることにより、煩雑さをさけることができる。この「行為オブジェクト」は、属性として、自分自身の内部に「行為の内容」を保持する。また、「時間」と「場所」という属性を併せ持つ。これにより、聖書の記述を文字通りの順序で記述することが可能となる。
 このように、オブジェクト指向(物指向)と言っても、必ずしも現実に存在するものを文字通りに実装するのではなく、行為のように形の無いものをもある物のように実装することがあるのである。これは、どこか聖書の「見える物は、見えないものから」との記述に整合しているのではないだろうか。
 このように、アブラハムに対してだけでなく、聖書のすべての登場人物について、その行為をオブジェクトとして記録することは、なんとエキサイティングなことであろうか。それにより、ある人に着目したときに、その人の行ったことを即座に検索したり、順序立てて列挙することがいつでも簡単にできるようになるのである。同じように、歴史的なある期間に行われた、例えば「戦い」のような特定の種類の行為の検索や、ある地域における出来事の列挙やそれらの組み合わせによる検索や情報抽出等も自由にできるようになるのである。

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2008/12/27

実装神学の開発環境

Djangoフレームワークによる開発環境の構築

 実装神学は、聖書をコンピュータシステムとして実装し、それを実際に動かしてみることにより、現代を生きる信仰的実存の諸形態を解明しようという試みである。そこで、それが成功するか否かは、その実装形態の良否に掛かっている。私が提唱するこのシステムの実装形態としては、次のものが想定される。
 まず使用するプログラミング言語であるが、現時点でもっとも有望なものとして、Pythonがあげられる。これは、徹底したオブジェクト指向を実現できると共に、GUIを含む基本ライブラリも充実している。そして、なによりも実績と技術の蓄積が多いこと、さらに、これが利用できるレンタルサーバ等のコンピュータ環境が多いことがその理由である。また、高機能な統計解析パッケージであるや、言語処理システムのMeCab、さらに地図処理システム等もこのPython向けのインターフェースを提供しているので、これらをこの言語で統合することにより、高度なシステムが実現できる。
 次に、このプログラミング言語をサポートする、システム開発のためのプラットホームであるが、これには、Djangoを採用したい。これは、非常に高い汎用性と生産性を持つ開発フレームワーク(骨組み)であり、これを使うと、Python言語で定義した聖書の中の人物や武器、建物、祭具等の聖書オブジェクトを保存するためのデータベース構造を自動的に生成してくれると共に、そのデータベース上での検索もオブジェクト指向で実現できる。さらに、システムの見栄えと機能が別々のモジュールとして実装されるため、実証実験における繰り返し開発に有利である。
 このDjangoフレームワークにより開発されるのは、Webシステムであり、インターネットによる公開が想定されている。これにより、その機能を一般の人に手軽に提供できると共に、その背後には、堅固なデータベースシステム、言語処理機能、統計解析機能、地図処理機能等々が統合されており、それにより外部の諸システムからの様々な要求を受け取り、それに応答するための興味深い処理結果や対応する検索結果を様々な形、たとえばXML等で配信することが可能となる。
 私の方で行ったこととしては、上記のような開発環境のうち、Djangoは、月数百円の廉価なレンタルサーバー上で稼働することを確認した。これは、SSH等のシェルログインができないものでFTPによるでファイル転送とアクセス権の設定のみによる対処で実現可能である。しかし、MeCABやR等となるとmakeによるインストールが必要となる。これらについては、月500円のさくらレンタルサーバでの実現方法を掲載したブログもあるようであり、これらを駆使することにより、システムの初期稼働環境をオープンソースの無償システムだけで安価に構築することが可能と考えられる。その場合、Django自身が開発用のWebサーバ環境を持っていることから、開発と実証実験は自宅のWindowsデスクトップ環境で行い、テストの終了したモジュールからそのソースコードをFTPで運用サイトに転送することにより、機能をリリースしていくという運用が可能なのである。

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