2012/01/28

スマートフォンの中の母

 母は、いまも私のスマートフォンの中にいる。生前、病棟の母を毎日のように撮影していたから。おびただしい肖像は、入院の日から、未明の死に顔に至るまで、収められていて、ときどき開いて見ていた。このところ事務的にいろいろと忙しく、しばらく見ないでいたが、最近また見てみて、今までに無い美しさを覚えた。それらは、死を前にしても安らかで、苦しんで死んだ様子はなかった。そこに、あらためて神のやさしさを感じた。
 最後まで、全身の力を使って、トイレに座って用を足していた母。それ以外には、なにもできることはなかった。日一日と力を失って行く母と話していて、「人間てなんだろう」と考えた。そんな母にとっては、「今日は、外はとても寒いよ」とか、「昨夜は、次男の帰りが遅かったよ」とか、「仕事で社長にほめられたらしいよ」とか、「長女も勉強頑張っているよ」とか、そんなことが話題のすべてだった。本当は、人間は、最後には、そんなことを聞いて、喜んだり、安心したりするだけがすべてなのだろう。それはきっと、最初から人間にとって意味のあるのは、そんなことだけだということを示しているのではないだろうか。そうなって初めて、いままで自分が大切にしたり、重要に思ったりしていたことが、実はただの塵に過ぎなかったことが明らかになるのではないだろうか。人間に必要なのは、究極的には、一つの純真な心と一畳のスペースだけなのだろう。そして、それが天国なのだと私には思えるのだ。そして、そこに神がおられる。そして、もう他には何もいらないのだ。それがすべてなのだと。

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2012/01/06

母の召天

 昨日の朝、4時20分ごろ、私の携帯電話のベルが鳴った。飛び起きて電話に出ると、母の心肺が停止したという知らせであった。すぐに着替えて病院へ急行したが、果たして母のモニターは0を示していた。すぐに医師が来て、瞳孔を確かめ、死を宣言し時刻を伝えた。4時33分、急性心筋梗塞であった。看護士が、昨日の昼から嘔吐が起こり、排尿もほとんど無くなっていたと言った。「なぜ、それを伝えてくれなかったのか」と心の中でいぶかったが、ただ「はい、ありがとうございました」と応えた。昨夜は、夜7時過ぎに病室に来て、母がすやすや眠っているのを見て、安心して帰宅したのに、こんなことになるなんて。あっけない最後であった。病室に来るたびに母のために癒しを祈りつづけたが、何も奇跡的なことは起こらなかった。
 母は、ここに入院して、とても満足していたようだった。家にいたときには、一日中テレビを見ているしかなかった。たまに近くのスーパーまで買い物に行ったり、床屋に行ったり、近所の方々と短い会話をしたり、それくらいが母の世界だった。それと、私が、週1回くらい車で少し離れた大きなスーパーまで買い物に連れていっていたくらいだった。しかしこの病院では、看護士やケースワーカ、作業療法士、言語療法士、栄養士、他いろいろな人が親身になって母の面倒を見てくれた。また、老人を楽しませるためのイベントの数々、それらを母はすなおに楽しんでいたようだった。そして、私や孫たちを彼らに自慢し、彼らからの賞賛を誇りにしていたという。そんな母は、とても輝いて見えた。ここは、母にとって新しい社会だった。たとえ、家に帰れなくとも、母は少なからず幸福だったのではないだろうか。そんなことを考えて、軽い嫉妬を感じながら、そこにたたずんでいた。
 これで、母の人生は終わりを告げた。なんだか、今、本当に一人ぼっちになったような気がした。

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2012/01/03

ちょっとしたことがうれしい

 闘病の内に母は新年を迎えた。ここ数日間は、会社が休みであることもあり、夜は私と弟が交代で病室に泊まり込んでいた。最近の母は、意識が朦朧としてように見えることが多く、ナースコールもできなくなってしまったようだ。でも唸るような声で「水が飲みたい」とか「トイレー」と知らせてくれる。母のような容態においては、水を飲ませるのは気管に入らないように気をつけなければならないので、看護師や慣れたワーカに頼まなければならない。そして、母が水をやっと「ゴクン」と飲むと、こちらも「ああよかった」とうれしくなる。同じように、息を切らせながらポータブルトイレで用を足したり、寝返りを打たせてもらったりするたびに「ああよかった」と、そのときだけは母の病状も忘れて安堵の胸をなで下ろす。それはまるで、小さな子供や自分の孫の一挙一動をはらはらして見ながら、一喜一憂している壮年のようだ。今になって、なんだかその気持ちが手に取るように分かる気がする。そんな人にとって人生は、そんなちょっとした事件の連続で、それ以外に何も大したことはない。いや、実際はだれの人生もそうなのかもしれない。たとえ自分の生涯を賭けた大きな仕事を成し遂げたとしても、その人が最後のベッドの中で気にかけるのは、いま私が感じている、そんなちょっとした事件だけなのかもしれない。
 しかし、それを理解した人にとって、キリストへの回心は、大きなことではないだろうか。そう、全宇宙がひっくり返るほど、衝撃的ですばらしく、興奮すべきこと、目の前のすべてがきらきらと輝き始めることなのに違いない。

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2011/12/29

それぞれの親切

 母は病院で、「ここの人はみんな親切だよ。本当に良かった」と言っていた。昨日、病室に行き、母が水を飲みたいと言ったので、そこにあった吸い飲みで2口ほど飲ませた。あとでそのことをそこに来た看護士に知らせたら、それは危険なことだと言った。今の母は、水でさえ喉に詰まらせてしまう危険があるという。しかし、例のコミュニケーションノートには、今日は水を2口飲んだとか、お粥を2口食べたとか書かれていた。また、栄養士は私に電話で、何でも好きなものを好きなときに食べさせて良いと言っていた。それから母の寝かせ方や、ベッドの倒し方、足のさすり方等々、人によってみんな言うことが違うようだ。たぶん、みんなそれぞれに根拠があってやっているのだろう。だから、みな正しいのだと思う。それぞれが、自分の信念を持って母の介護をしていてくれるようなので、私も何も言わず、それぞれのときにそれぞれの方法で対処して行くしかない。母の容態も刻一刻と変わって行くようだし。昨夜は、病室に泊まったが、寝ている母に、「心配しなくていいよ。イエス様がいつもそばにいてくれるから。おばあちゃんを守ってくれるのは、イエス様だからね。それを忘れないでね」と諭した。それから、神様に母のことをお願いした。神様は神様の方法で、母のことを守り導いてくださるに違いない。それぞれにそれぞれの方法で母に尽くしているようだが、やっぱり神様の方法が一番頼りになり、平安があるのだと思った。

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2011/12/27

母の命

 今日、仕事を終えて病院へ直行すると、母はめずらしく目を開いていた。私を認めても、「ああ。。」と言った感じで、それほど驚きもしなかったが、私が手を握ると、いつもと違い、かすかに握り返してきたように感じた。そして、少し大きな声で、何かを語った。「家に帰りたい」と言ったように思った。そして、「手を引いてくれるかい」と聞こえた。でも、すぐに「やっぱり、いいよ」と言ったように聞こえた。母は、酸素を継続的に吸っている状態なので、私は、苦笑いするだけであった。そのとき、初めて、神への怒りのようなものを感じた。人はなぜ皆、死ななければならないのか。そして、なぜ母が日に日に衰弱の一途をたどっているのか。
 病院からの帰り道で考えた、「でも、みんな最後には死ぬのだ」と。そして、それこそが「死」の本質なのだと。しかし、それで終わりではないのだと。でも、母は、確実に天国へ行けるのだろうか。年老いてから信仰に入ったため、聖書の言葉もほとんど知らない母が。でも、母は主イエスを救い主と告白し、洗礼を受けている。そこで、聖書によれば、天国へ行くことになっているのである。それを疑ってはいけないと改めて思った。そうしたら、元気なころの母の面影が心に帰ってきた。天国へ行くのに、高尚な知識や学問は無用だと思う。本当に、本当に、主イエスを救い主と受け入れること、それを公に言い表すことがすべてなのに違いない。

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2011/12/23

コミュニケーション・ノート

 母の容態が悪くなる一方のようで、それを見ているだけの私は、焦燥感に襲われ、主治医に電話で苦言を言った。彼女は、私の心中を察してくれて、なぐさめの言葉をくれた。それから数日して、母の病室の机に、一冊のノートが置かれるようになった。その表紙には、「コミュニケーション・ノート」とあった。中を見ると、母を介護してくれている言語訓練士や作業療法士、ワーカ、看護士の方々が交代で、母の近況を綴ってくれていた。私が知らない、母の病院での一面を知り、慰められた。母に、「どこか痛くない?」と聞くと、いつも「痛くない」と応える。「苦しくない?」と聞くと「苦しくない」と応える。「みんな親切?」と聞くと、「みんな良くやってくれるから、ありがたいよ。わたしも頑張ろうと思うよ」と応えた。
 昨日は、病院では、一足早いクリスマスのイベントがあったようだ。母の病室には、たぶん言語訓練士だと思うが、一緒に笑って写っている写真立てがクリスマス・プレゼントの袋から出したばかりのように置かれていた。そのとき、母がトイレに行きたいと言ったので、ベッド脇に置かれているポータブルトイレに座らせた。それだけの行動で、もう息が切れてしまう。母は、自分の容態について、どう思っているのだろうか。今は、もうベッドで寝ているのが精一杯のようだ。でも今日のコミュニケーション・ノートによれば、訪問して来た子供たちの歌を聞いて、「疲れたけど、楽しかった」と語ったという。
 母の枕元にいつも置いている盛り花も、すこし枯れてきたので、明日はまた新しいのに取り替えなければと思った。

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2011/12/07

母との会話

 今日は、「南病院入口」というバス停で降りて、母の病院へ向かった。入口と言っても、全然入口ではなく、結構な距離を歩かされた。家から行くのと大差ない距離だった。病室へ行くと、やはり母は眠っていた。しばらくポータブルトイレを椅子に座っていたが、少しにおうので、部屋の外から母の車いすを引っ張ってきて、それに座っていた。ここに来るときは、いつも緊張する。日常と違う環境がここにはある。段々とやせ衰え、意識も朦朧とし始めている母のそばにいると、人間とはなんだろうと考える。そのような状態でも、母はやっぱり母で、何も変わってはいないように思える。それから、信仰のこともいろいろ考えたくなる。自分は、どうあるべきかとか。ここにいると、母の前にいると、なぜかそんなことを思ってしまうのである。しばらく目をつぶって祈っていると、急に母が大声を出した。どきっとして、母を見たが、寝ぼけているらしい。またしばらくして、大きな声を出した。今度は目を開いていたので、「どうしたの」と聞いたら、「薬がほしい」と言った。まもなく介護の人が来た。ナースコールを押していたらしい。その人が、「夜はもう薬は飲まないんですよ」と言ったら、母は納得した。あんな言い方で、通じるのだろうかと思った。ときどき、ワーカや看護師の言葉が、あまりにも丁寧でよそよそしくて、母には通じないように思えることがある。その人が行ってしまってから母に、「僕だよ、分かる?」と聞いたら、「分かるよ」と大真面目に答えた。「ああ、よかった」と思った。本当に良かった。母の手を握ってしばらくそこにいたが、「もう、帰った方がいいよ」としっかりした声で言った。「どうして?」と聞くと、「忙しいだろうから」、「別に忙しくなんかないよ」。それから、しばらくいろんな話をした。外はもう冬で寒いこと。私が最近会社へ行っていること。今日、教会の人が来てくれたらしいこと。最近、MRAの検査をしたこと。リハビリでどんなことをしているかということ。昨日は、二男が夜遅く帰ってきたこと。長女も遅かったこと。明後日、ボーナスが出ること。どんな夢を見るかということ。母は、夢は見ないと言っていた。そうして話していたら、また、「もう、帰った方がいいよ」と言うので、もう一度手を握ってから、病室を出た。

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2011/12/05

介護の限界

 母の容態は、日に日に変わり行く。良い方向ではなく、その反対に。今日は、会社の帰りに病院へ直行した。病室へ急ぐと、ベッドはもぬけの殻であった。まだ7時だったので、食堂へ行ってみると、果たしてそこに座っていた。夕飯の膳を前に、ほんの少し箸をつけただけのようだった。私の顔を見るなり、びっくりしたように、「今日は大変だった」と言った。「なにが大変だったの」と聞くと、この病院がつぶれそうだと言う。「どうして?」と聞くと、病室を何度も変えられるので、この病院、大丈夫か心配になったと言う。それからさらに話を聞いてみると、何度も同じ夢を見ていやだとも言う。「どんな夢?」と聞くと、「1階へ行ったり、2階へ行ったり。それから、病室に移ったり。みんな一人づついなくなったり。」へんなことを言うなあと思って話を聞いていた。そのうち、ナースステーションで記帳している私に、作業療法師が話しかけた。今日は、母を気分転換に1階へ連れて行って、リハビリをしたということであった。私は、「ははあ、母は、介護の人たちの良かれと思ってしてくれることに、心が着いていけないのだな」と思った。考えてみれば、寝ていたのをいきなり起こされて、車椅子に乗せられて、2階から1階へ降ろされたのでは、寝ぼけて頭が混乱しても不思議ではない。なにしろ母は病人なのだから。それに日に何本もの点滴を打っているし、酸素も常時吸っている状態なのだから。それにしても、介護の人は、もっとゆっくり母の話を親身になって聞いてくれれば良いのにと思った。でも、彼らにしても、たくさんのご老人を相手にしており、心に余裕がないのだろう。だからと言って、母を自宅に連れ帰っても、酸素も供給できないし、医学的な知識もないし、どうしようもないのだ。仕方なく、ワーカや看護士の方々にお礼を言ってから母の病室にもういちど行った。母の手をにぎりながら、目を閉じさせて、静かに歌を歌ってあげながら、しばらくそばにいたら、最初おちつきがなかった母も次第にあくびをして、静かに寝入ってしまった。もう夕飯の時間になろうとしていたので、静かに母の手を放し、病室を出て、家に向かった。

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2011/12/03

転室、また転室

 母の容態は、このところ日に日に深刻になってきている。昨日、別の病院の検査結果が出たので、聞きに行ったところ、組織検査では異常なしだったが、血液検査では、腫瘍マーカが800以上にもなっていた。こちらの主治医の話では、卵巣癌の疑いがあり、骨等にも転移している形跡があるとのことであった。ターミナルケアという言葉が医師の口から出てきたのには驚いた。これまでも、診断の結果に疑問を感じながら通院していたが、やはり事態は深刻なものだったのだ。定期的に健康診断をさせていれば、このようにはならなかったのだろうかと思った。
 母が入院したときには、治療病棟が満室だったため、リハビリ病棟に入れてもらった。しかしそこでは、新たにリハビリに入ってくる人が優先らしく、2日目には2人部屋の差額ベットへと移されてしまった。それからやっと治療病棟のベッドが空いたとのことで、4人部屋の差額ベッドに移された。あまり病室を転々としたために、母は混乱したらしく、昨日行ってみたら、「私、昨日、秩父まで行ってきたのよ」と訳の分からないことを言っていた。「あんな遠くに来てしまって、とてもいやだったけど、こうして帰って来られて本当によかったわ」と。看護士の話では、昨夜、水が飲みたいとか、家に帰りたいとかで、頻繁にナースコールをしたために、同室の人から苦情が出て、今日は、1人部屋の差額ベッドに移ってもらうことになっているという。段々出費もかさむようになるが、致し方ないので、承諾し、夕方にもう一度行って見ると、すでに1人部屋に移されていた。その部屋には、テレビも冷蔵庫も落ち着いた家具もあり、大きな窓もありで、なかなか良い部屋である。そこで、母が夜、どんなに過ごしているのか見るために、今日の夜は、しばらく一緒にいてみようと、看護士に許可を求めた。夜行って見ると、私のために、ソファーを入れてくれてあった。でも、それがあまり居心地が良くないので、しばらく車椅子で本を読んでいたが、そのうち、そのソファーに横になったら寝てしまったらしい。
 母と私、そして神様の3人がそこにいるような感じがした。一人部屋に移ったことを幸いに、母に聖書を読んであげようと持ってきたのだが、母がずっと眠っていたので、今日は読む機会がなかった。またそのうちに読んであげられるだろう。私が目を覚ましたのは、夜の12時半ころだったが、母はやはりすやすやと眠っていたので、看護士に断って、玄関のドアを開けてもらい、歩いて帰宅し、お風呂に入ってから寝た。

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最近の母

 先日、母の二人の弟が病院に見舞いにきてくれた。母は、本当に久しぶりに会った弟たちに、別段驚きや喜びの表情は示さなかった。母の表情は、次第に失われつつあるように思われる。しかし、自分の身の回りのことに関しては、意識がはっきりしていて、未だにあれを持って来いとか、どうなっているのかとか私に問い正すことがある。このときは、ちょうど母のリハビリ訓練の時間であったため、少し話を交わした後で、彼らを一階のカフェに案内し、コーヒーを飲みながらしばらく歓談した。彼らを見ているだけで、母の麗しさを感じる。それが兄弟というものなのだろう。彼らは歳老いて、電車を乗り継ぐのに右往左往しながらも、鷲のように飛んで来てくれたのである。そのことがとてもうれしかった。
 しばらくして、もう一度母のところへ戻ると、今度は食事の時間になっていた。私たちは、食堂で母に声を掛けてから病院を出た。車に乗るときに両人からお見舞い金もただいてしまった。駅へ送る途中で、食事を一緒にと切り出したら、躊躇しながらも受け入れてくれたので、しばらく一緒に食事をしてから駅で分かれた。

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