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2020/07/07

聖書は、何のためにあるのか

 聖書は、いったい何のためにあるのだろう。この分厚い書物を前にしては、誰しもたじろがざるを得ないようだが、きっと目的があるに違いない。「人間の救いのため」、と答える人もいるかも知れないが、聖書には口がないので、自分で福音を語ることはできない。だから、あるとすれば、「人間の救いのために働く人を教えるため」とは言えるかもしれない。そういえば、私もギデオン協会の会員である。これは、聖書をひたすら配ることに情熱を燃やしている。聖書自身が伝道すると信じているのだ。もちろん私もそう信じている。でも、そのためには、手渡してもらわなければならない。この「手渡す人」がまず情熱を受けなければならないのだ。聖書は、そのためにあるのかもしれない。そう「情熱」を。
 どうしたら聖書から情熱を得られるだろうか。それには、聖書を通して、神が語っておられるというか、語りたいと思っておられることを自分なりに受け取る必要があると思う。たとえば、私の場合には、旧約聖書はこんな風な解釈になる。
1.創世記:世界と人の創造と堕落、回復への道備え
2.出エジプト記:世界と人類の救済のために形成された選民イスラエル
3.レビ記:神の掟と戒め(聖と俗の区別)
4.民数記:荒野の旅の護りと導き(約束の地への旅)
5.申命記:神の祝福と呪い
6.ヨシュア記:約束の地の獲得
7.士師記:堕落の始まりと祝福の喪失
8.ルツ記:恵みの継続
9.サムエル記上:王制の樹立(サムエル、サウル)
10.サムエル記下:王による統治(ダビデ)
11.列王記上:王制の崩壊と分裂(ソロモン)
12.列王記下:王国の乱れと破滅
13.歴代誌上:アダムからダビデまで
14:歴代誌下:ソロモンから捕囚の終わりまで
15:エズラ記:捕囚からの帰還と神殿の再建
16:ネヘミヤ記:再度の衰退と城壁(街)の再建
17:エステル記:捕囚の地における選民存亡の危機と救済
 神様は、これらを通じて、何を語りたかったのだろうか。これらから何を受け取るべきだろうか。
 一つは、必然性だ。これしかなかったのである。次に類比性だ。これは、私の人生でもあるのだ。私は、自分の一生において、この歴史を生きているのである。私が生まれてから物心ついて、神を知り、心に王国を樹立し、そこを治め、神殿を作り、街を作り、その間に何度も敵からの誘惑や侵略を受けて神に背き、再建し、そして完全な救いに至るまで、その旅と戦いは続く。神は、その私の生涯を通じて、私を導き、助け、そして最後には、ご自身を捧げてくださったことが私に理解される。そうなるまで、神は待っておられる。私の人生のいろいろな場所で。実際、神は待っておられたのである。私が、自分の人生を神に捧げるようになることを。
 そうすると、私の血統は、正統なる王の系図となる。そこからやがて心の中にキリストがお生まれになるのだから。私は、神に選ばれ、勇士とされ、金銀財宝を与えられ、約束の地に入ることを約束されている。
 この祝福を自分だけのものにしてはおけない。きっとそう思うようになるために聖書はあるのだと思う。

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ストームグラス

Stormglass
Saboten
 これは、かつて開所祝いに娘がくれたもの。天気が分かるはずなのだが、まったく信用できない。第一、寒いと真っ白に結晶してしまって、何がなんだか分からなくなる。でもときどきは、条件が重なったのか、こんな風に面白い結晶ができることがある。そんな気まぐれさが気に入っている。私の事務所には、他にも意味のないものがたくさん置いてある。それは、なんとなくリラックスできるから。そうでないと仕事もはかどらない。サボテンなんかは、何度か育て始めたが、ことごとく枯らしてしまったので、いまあるのは草花も含めて、すべてフェイクである。でも、最近のは、わりと良くできている。

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