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2020/05/20

コロナ禍の中で

最近は、もっぱらテレワークの毎日である。

 仕事の性質上、どこにいても出来てしまうので、ほとんど不自由はない。昼食後に家内と散歩するのも日課になった。そんな中で、聖書を読んだり、信仰のことを考えたり、神様との関係も改めて考えたりと、なんだか特別な時を過ごしているように思う。

 そんな中、ふと考えたのが「第3の人生」ということだ。「第1の人生」は、生まれてから自分のために生き、歩んだ人生だった。そして信仰を得て、「第2の人生」は、求め続けた人生だった。現役時代は、信仰者として社会でいかに生きるべきか、父親として家庭でどのように生きるべきか、役員として教会でどのように生きるべきか、また定年して事業を初めてからは、神様だけにいかにして頼るか、等々を求めつつ歩んだ人生だった。そして、「第3の人生」とは、それはこれから始まるのだが、「神様に働いていただく人生」である。そんな考えが、このしばらくの静粛の中で、心に湧き起こってきたようなのである。

 「私は決して、私の家の天幕に入りません。私のために備えられた寝床にも上がりません。私の目に眠りを与えません。私のまぶたにまどろみさえ。主のために、一つの場所を、ヤコブの力強き方のために、御住まいを私が見出すまでは。」 詩篇132篇 3〜5節

 定年後に事務所を開いてから、これまでは試練の連続だった。本当にこの6年間は、自分の力では決してやってこれなかった。そんな中で、神に頼ることだけが望みだということを思い知らされてきた。そして今、「それこそが鍵だった」ということに気がついた。それはつまり「待つ」ということだ。

 「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」出エジプト記14章13節

 「神が働かれなければどうしようもない」という状況に自分を置くこと。これがこれまでの私の人生の結論である。そして、私にはやるべきことはたくさんある。神が備えてださったこと。「喜ぶこと」、「賛美すること」、「感謝すること」、「祈ること」、これらは、完璧な戦いの武器であり、そこにはもはや不足は何もない。そして、神が働いてくださるのを「待つ」ことである。

 主はエリヤに言われた。 「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。」列王記上19章15節

 神は、聞く姿勢を持つ者に語ってくださる。それは、命令であり、それは神の戦いである故に、必ず勝利が与えられる。それは、最善の道であり、そこにこそ最大の可能性が輝いているのである。

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