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2018/12/12

三位一体の神を信じる

 キリスト教の神は、三位一体の神である。そこで、キリスト教の信仰の方法というか形態は、他の宗教とは決定的に異なっている。一言で言うと、「父なる神を礼拝する」、「御子イエスに従う」、「聖霊に依り頼む」というように、三位の各位格に対して、独特の接し方をする必要があるのである。
 まず、「父なる神を礼拝する」ということに関してであるが、私たちが礼拝するのは、旧新約聖書の神である。この宇宙を創造し、壮大な歴史を実際に動かしておられる大いなるお方である。聖書の中にご自身を表され、天地創造以前に私たちの誕生と救いを定められ、そのご計画に従い、私たちを喪失の中から救い出し、ご自身の子とし、全宇宙を相続する者とされた。その計り知れない知恵と力、愛と恵みの神を礼拝するのである。
 次に、「御子イエスに従う」ということであるが、「御子」とは、天の父の独り子であるが、私たちにとっては、私たちを治める王であり、万軍の主なる司令官である。彼は、神であられたが、自ら人となり、この罪の世界に生まれ、その公生涯を通じて、私たちの成しえなかった罪の贖いを成し遂げ、勝利を勝ち取られ、黄泉から戻り、復活して天に昇り、神の右の座に着かれた。その王の王、主の主に私たちは従うのである。何のためにか。失われた魂の内、永遠の命に定められている者を救い出し、勝ちとるためである。私たちは、その戦いのさ中にあり、主イエスがその先頭に立たれているのである。
 最後に「聖霊に依り頼む」ということであるが、主イエスが天に帰られた今、私たちをこの地上で導かれるのは、聖霊以外にいない。聖霊がおられなければ、私たちは何も知りえないし、何も成し得ない。私たちの生来の性質は、罪に死んでいるからである。しかし、もし私たちの内に聖霊がおられるなら、体は罪に死んでいても、霊は生きているのである。しかし、私たちは、霊的なことを理解することができない。そこで、どうしても助け主が必要なのである。聖霊は、私たちが父なる神を礼拝することを助け、主イエスの雄姿を心に啓示し、私たちが神の子であり、戦士であることを教え、励まし、助けてくださる。それゆえに、私たちは、信仰の戦いに勝利することができるのである。
 このような宗教が他にあるだろうか。このキリスト教の信仰体系に比べて、他の宗教の体系は、おもちゃのようなものだ。しかし、もし私たちが、この三位一体を正しく信仰しないならば、このすばらしい体系も十分機能せず、私たちは、迷いの中に悪魔の軍勢との戦いに翻弄されてしまうかもしれない。勝利は、すでに決まっているのであるが、私たちには、主イエスと共に、この戦いを雄々しく戦い、彼と共に勝利者となることが求められているのである。

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