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2018/12/06

異言のクリエイティビティ

 異言は、聖霊が語らせてくださる言葉である。しかし、だからと言って、それが100%聖霊の作品かと言うと、そうでもない。第一、私が口を動かさなければそれは発音されないし、私が語るのをやめれば、それは終わってしまう。また逆に、私が語り続ければ、それはいつまでも続くのである。かと言って、それは私のデタラメな創作なのかというと決してそうではない。私は、そのような言葉を、そのような速さで思いつくことはできないからである。使徒パウロは、「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。(コリント1の14:18)」と言っている。それは、ある意味で「彼の能力」であったし、同時に神からの賜物だったのである。
 そのように異言は、聖霊と私の共同作品なのである。だから、それを努力して語れば、神も喜ばれるし、私も満足することができる。そしてパウロのように、神に感謝するのである。しかし、どのようにしてそれを充実させられるのだろうか。
 まず第一には、心を解放して、聖霊に明け渡す必要がある。第二には、積極的に可能性を探すことである。新しい思い、新鮮な思い、従順な思い、神を愛する思い、勇敢な思い。つまり、聖書に記されている、あらゆる気高い思いを言葉として発音すべく、可能性を探求するのである。聖霊がそれを助けてくださる。パウロはかつて、第三の天にまで引き上げられるという経験をしたので、その可能性を誰よりも多く心の内に持っていたのだろう。だから彼は、あのように言うことができたのだと思う。
 私たちも自分の生きてきた人生、経験してきたこと、それらを通して神を知り経験したことのすべてを持って神を賛美すべく、新しい言葉に託すのである。すると聖霊が新しい思いを与えてくださる。あなたが三段登れば、聖霊は、次の三段を引き上げてくださる。
 その目的は、ただ一つ。神を賛美することである。それは、天国で最も生産性の高い行為に違いない。そして、この地上においても、それは、あなたの霊の内に、確かな実を結ぶ。たとえ、あなたがそれを感じることができなくても、霊の世界のことは、人間の理性では理解できないことなのだから、あなたの霊的な成長は、そのようにして促進され得るのである。なぜなら、あなたが異言を語っているとき、それは霊的な世界とこの世界を隔てる壁に耳を当てているようなものだからである。

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