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2018/08/18

悪魔との戦い

 悪魔は、目に見えないので、悪魔と戦うのは、天使たちだけだと以前は思っていた。でも、信仰の友人や有能な働き人たち、また彼らの家族たちが突然の不幸や堕罪に見舞われるのを見て、これは偶然ではないと思うようになった。悪魔が彼らを罠に掛けたり誘惑したりしていると思われるのである。つまり、現代においては、私たちの心こそが神の宮であり、神との唯一の接点であり、私たちの外に神はおられない。そして、悪魔との接点があるとすれば、それは私たちの外の世界なのである。
 私たち夫婦も、私の定年と同時に街への伝道のために事業を始めようとしていた矢先に、正面衝突の事故に見舞われた。私たちの乗った車は、反対車線の歩道の縁石を乗り超えるまでに弾き飛ばされ、大破し、家内は背骨と肋骨を折る大怪我をしたが、私は幸いかすり傷で済んだ。思えば、そのとき家内は、教会の伝道委員長に選ばれていたのであった。警察の裁定によれば、事故はセンターラインオーバーの相手が100%悪いということだったが、彼は保険に入っておらず、どこかへ逃走してしまった。でも、私たちは結局、その事故から何の害も受けなかった。経済的にも、肉体的にも、何の後遺症もなかった。あのとき不思議と、二人とも神を賛美し、感謝が耐えなかった。私たちは、事故の相手への責任追及を公的に放棄した。神の愛を疑うことは微塵も無かったのであった。それが神の恵みであり、守りであり、またあの事故が悪魔から来たことの証拠だと思う。
 言いたいことは、私たちは、この世界で悪魔と戦っている、いや戦わなければならないということである。たとえ悪魔が目に見えなくても。
 あのとき私たち夫婦が、自分たちのしようとしていることが悪魔に与える影響について、もっと考察できていたら、そして、悪魔の罠に備えて対抗し、注意を深めていたなら、あの事故から守られただろうか。それは、なかなか判断が難しいことかも知れないが、というのも、あれから私たちは、正面衝突事故は、決して防げないということを実感したからだ。でも、あの場所をあと5秒でも遅く通っていたら、事故にはならなかった。その5秒は、私たちが祈りを一つ多く捧げることにより、生み出されていたのかも知れない。悪魔との戦いは、霊的な戦いなのである。

 カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである。そうされたのは、ただ以前に戦いを知ることがなかったということで、そのイスラエルの人々の世代に戦いを学ばせるためにほかならなかった。(士師記3章1~2節)

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