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2018/04/21

エックハルトの真意

 これで14回目の研究になるのだが、私がマイスター・エックハルトを再三に渡って取り上げてきた理由は、ただ一つ、「自分の信仰の刷新に役立つ」と思われたからである。私は、信仰の役に立たないようなものには、あまり興味がない。だから、エックハルトがただ神秘的だとか、宗教を超越しているとか、その類のことだったら、わざわざブログで取り上げる価値はないと思っている。だから、ここで書きたいことは、まさに信仰の実践的なことなのだ。
 それでは、エックハルトがどのようにして、キリスト信仰において実践的であり得るのか。それは、彼自身がまさに実践的な信仰を求めていたことによる。そして、彼は実際、自分のキリスト信仰を常に刷新するべく、様々な観点から研究していたのであり、説教においてそれを人々にとつとつと語ってきたのだった。
 そこで、このカテゴリーで取り上げたいことは、エックハルトのドイツ語説教において、その実践的な信仰理解がどのように表現されているかということである。
 というのも、最近またエックハルトのドイツ語説教集を読み返してみて、それが圧倒されるほどに真新しく、心に迫って来たのだ。そして、彼独特の語り方、切り口なくしては、それが表現できなかったのかも知れないとさえ思ったのである。それを当時、彼の口から直接に説教を聞いた人々、そして今日、彼の残した説教集を読む人たちがそれを彼の意図通りに受け取るかどうかは、また別問題なのだが。少なくとも、私にとっては、これは、あるべくして語られた説教であり、ここに信仰の刷新のための驚くべき真理が滔々と語り尽くされていると思われるのである。

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