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2017/12/09

偶像崇拝について

 偶像とは、「人間がそれ自体が良いと想定したもの」と定義することができると思う。しかし、イエス・キリストが「良い方は、父なる神以外にいない」と言っておられることから、良いものは、天から、光の父から降ってきたもの以外にはない。そこで人が、そのようなもの以外を「それ自体が良いもの」と想定するならば、それはすなわち「偶像」となる。
 この定義によれば、例えば芸術は偶像であり得る。また、科学は偶像であり得る。つまり、それがどのように私たちのこの世の幸福につながり、文化的な生活にとって必須のものであろうとも、それが「それ自体で良いものであり得る」と想定されるならば、それは偶像であり、人を神から引き離し、苦難へ誘うものとさえなるのである。
 そこで、もし自分の心の中から偶像を取り除きたいと願うなら、その人は、まず何をおいても、神の前に跪き、ひれ伏さなければならない。つまり、偶像崇拝を排除するには、その全く反対である、真の神を礼拝することが必要なのであり、全ての回復は、そこから始まるのである。ただそのことこそが、彼の持っている知識や財産、教訓や悟り、それらの全てを神の元へ奪還し、彼の心の宮から偶像を運び出すことに貢献するのである。イエス・キリストは、そのために縄の鞭を使われた。彼は、宮で商売している人々に優しく取り入ろうとはされなかった。ただ彼らを激しい憤りにより、追い出されたのである。だから、私たちも自分の心の宮において、そのように振る舞わなければならない。それ以外の方法で、偶像を追い出すことはできないのである。
 私たちは、自分の心から偶像が運び出された後の精神の宮たる心の状態を想像することは難しい。それは、私たちの思いを遥かに超えている。それは、私たちが創造し得るものではなく、神たる主イエス・キリストが創造されるものであり、主ご自身ですらあるとも言える。だから、それは私たちに属するものではなく、それでいて私たち自身でもあるのである。

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