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2017/07/08

異言の祈りの対象

 最近、発見したことがある。それは、ある人にとっては、当たり前のことなのかもしれないのだが。それは、「異言の祈りの対象」ということについてである。
 異言自体は、自分にも、たぶん他人にも理解できない言葉である。それは、「御使いの言葉」とも言われるが、この地上にある言葉の場合もあり、そうでない場合もあるのだろう。いずれにしても、語っている人には理解できない。だから、それを語るのに、対象を限定せずに、ただ漠然と祈っていることが多かった。でもそれは、ちょっと退屈で、忍耐が必要な時間であった。
 でも、言葉の意味が分からないからといって、その祈りの対象を持たずに祈っていては、空を打っているようであり、祈りに実が入らないのも無理はないのではないだろうか。そこで、祈りの対象を設定してみた。例えば、「自分の仕事の中の困難」、「災害で苦しんでいる人のため」、「家族の護りのため」、そして「神を賛美するため」等々、祈りの対象を心に抱きながら異言の祈りをしてみると、その対象が変わったときに、明らかに異言の内容が変化することを発見した。つまり、聖霊が祈りの対象に合わせて、異言の言葉を選んでくださっているのだと思う。そして、再び同じ祈りの対象を設定すると、さきほどと同じような異言の内容となるのは、ちょっと不思議な気がする。
 これらのことから、神様は、異言の内容自体は、私たちの自由にはなさらないようなのだが、その祈りの対象については、私たちが積極的に決めることを許しておられる、あるいは、そうすることを望んでおられるように感じるのである。これは、実に驚くべきことである。そして、そのように、異言の祈りの対象を積極的に具体的に設定して、思いを込めて、熱烈に祈るとき、異言が以前にもまして流暢に流れ出ることを発見した。そして、このような異言の祈りの時は、本当に満たされ、潤され、啓発され、霊的に高められ、安らぎを与えられる、祝福された、そして聖なる戦いのときとなることを知ったのである。

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