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2015/08/03

父をだますヤコブ(25、27章)

 アブラハムの一人子イサクに、エサウとヤコブという兄弟が生まれた。しかし、2人がまだ生まれ出る前に、母リベカは神から「兄が弟に仕える」と告げられた。果たしてその通りに、長子の権利は兄エサウからヤコブに移り、父イサクからの直接の祝福もヤコブが母と共謀して騙し取ってしまった。ここで2つのことの意味が問われる。まず、「兄が弟に仕える」という成り行き。次に、そのように仕組まれた神の介在である。
 これらのことは、「神の選び」という聖書的な概念を思い起こさせる。神は、祝福を与える者を自由に選択される。しかし、なぜ神があえて選択をする必要があるのか。それは、個々の人間の間に不均一があるからである。それは、アダムとエバがエデンを追放されて以来の婚姻と誕生の繰り返しに起因する。神は、ご自身がこの世界に持っておられるご計画を実現ために、必要な者を選ばれるのであり、それがヤコブだったのである。そして、神はもはや直接的には、この世界に介入されないため、人間同士の泥臭い駆け引きにより、この場合には、兄弟間の凌ぎ合いにより、それを実現されるのである。たぶん、リベカに前もって知識を伝え、様々な指図をしたのも、歴史を導く天の会議体の決定だったのだろう。
 それでは、これらのことの目的は、いったい何なのか。かつて天使から遠い将来に関する幻を示された預言者ダニエルは、「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」と尋ねた。それに対して天使は、「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている」と答えた。そのように、これらのことの終わりは、神によって秘められ、封じられている。しかし、それらに意味が無いわけではない。エサウもヤコブも、イサクもアブラハムも、イスラエル民族も、そして異邦の民たちも、神のある一つの目的のための道具なのではない。彼らは、巨大な複雑な機械の中の1枚の歯車なのではない。神は、契約を結ぶことにより、彼らと関係を持つことを意図された。そして、それこそが神の目的なのである。神は、ノアの出来事を期に、ある意味でこの世界への直接的な介入を放棄された。そして、この世界を後にして去って行かれたのではなかった。神は、この世界の人々と契約を結ぶことにより、本質的な関係を持とうとされたのだった。それは、神がこの世界に直接的に介入することよりも、遥かに勝る、人との親密な関係である。その関係は、神の広大な計画を実現するためでもあるのだが、それ以上に、その契約による人との親密な関係こそが神の目的そのものなのである。だから、神の目的は、アブラハムにおいて完結しているし、イサクにおいて完結し、ヤコブにおいて完結し、イスラエル民族の歴史において完結し、そして現代においては、あなたという一人の信仰者の生涯において、完結するのである。
 有名な理論物理学者ホーキングはかつて、「宇宙はなぜ、存在するという面倒なことをするのか」と語った。彼は、宇宙という大きな機械の目的を探していた。しかし、たとえその結末があったとしても、それは、神にとって、一つの本の最後のページでしかない。神にとって、大切なのは、それを読んでいる、ホーキング、あなた自身なのである。

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