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2015/07/15

昼ドラ創世記(16~17章)

 聖書は、様々な人間模様に満ちている。聖書に出てくる人々は、たとえヒーローと言われる人であっても、そのほとんどは普通の人間であり、現代を生きる私たちと同じような弱さ、醜さを持っているのである。そして、それゆえに聖書は、現代を生きる私たちにも強く働きかけてくるのであり、私たちはそこから、現代を生きるための知恵と励ましを得ることができるのである。
 このことは、どんなに強調しても強調し過ぎることはないだろう。私たちは、聖書を読むとき、そこに何か模範的な人間、聖人のような、崇高な人間を期待してはならない。そんな人は、本のわずかしか出てこない。むしろそこは、泥臭い張り合いや戦い、争い等に満ちているのである。それでは、私たちは聖書の中に、何を期待するのだろうか。それは、そのような人々の中に、神がどのように働かれたのか、彼らが神の導きや助けによって、どのような偉業を成し遂げたのか。それは、何のためであり、そこからどのような教訓が得られるのか。そして、それらのことから、私たちは現代をどのように生きるべきなのか、また、これからの人生、将来に何が期待できるのか、等々ということなのである。
 そこで、アブラハムとサラ、そしてその女奴隷等を巡る人間模様がどろどろしたものであろうとも、それは少しも驚くには及ばない。それはむしろ、そのような状況を神がどのように導き、彼らに偉大な事を成させるかを見るための前提条件でしかないのである。
 ここ、特に17章には、「契約」という言葉がたくさん出てくる。実に13回も出てくるのである。神は、ノアの大洪水の後にノアを通して人間を含む全世界の生き物と結ばれた新しい契約により、もはやこの世界に積極的には介入されないことを誓われた。そこで神は、この世界に、「契約」によって関わろうとされたのである。「契約」とは、その関係者の間だけに通用する取決めである。そしてそれには、「証拠(しるし)」がなければならない。神は、人の肉体に、しかも主に彼だけが目にする場所、一日に何度も目にする場所に、その契約のしるしを付けることを要求されたのであった。それは、彼がその「しるし」を見るたびに、神の契約を思い起こして、それを守るためである。
 契約とは、その双方に義務を生じさせるものである。そこで、この契約の義務とは、人間にとっては、彼が神の民となり、神の戒めを守るということであり、神の義務は、そのように生きる彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させるということである。この「契約」により、新しい状況が出現した。それは、ノアのときの契約とは、本質的に異なるものであり、さらに強い契約である。それは、全世界の人々とではなく、ある本の一部の人々と神の特別な契約である。ここに、神の民とそれ以外という区別が生まれた。つまり「選民」が発生したのである。その発端は、神が全世界の人々の中から、アブラハムを特別に選ばれたということであり、神は、このアブラハムの子孫とも、代々に契約を結ばれ、神の選民とすると言われるのである。

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