« 2015年7月11日 | トップページ | 2015年7月14日 »

2015/07/13

バベルの塔(11章)

 ここに記されているバベルの塔とは、いったい何なのか。そして、神はなぜ、その建設を阻止されたのか。それには、やはり神がノアを通じて全世界と結ばれた新しい契約が関係していると思われる。この契約により、神はもはや積極的にはこの世界に介入されることを控えることを約束された。そこで、この世界の行く末は、その統治者であるところの人間の手に掛かっていることになった。そこは、ある意味で弱肉強食であり、完全な正義の無い世界である。このような状況において、存在が可能となるイデオロギーは、民主主義と社会主義である。社会主義の脅威は、現代における社会主義国の状況を私たちが見たときに実感されるものであり、その最たるものは、世襲制による恐怖政治である。それに対して、資本主義には、自浄作用がある。しかし、それが働くためには、様々な権力が分かれ争う、かなり浪費型の社会を覚悟しなければならない。そして、景気の波が貧富の差をますます拡大させることになる。
 そこで、ここに記されているバベルの塔とは、世界統一のシンボルである。それは、一つの理想的な社会主義国家を目指していた。しかし、世界が一つの国家であり、しかもそれが社会主義国家であったなら、たぶんいずれ恐ろしい状態に落ち着くことになるだろう。人間の罪がそのように方向付けられているのである。そこで、神はこれを阻止されたのだろう。人間の言葉が混乱させられ、複数の国家が分かれ争う状況が出現した。「バベル」、それは「混乱」という意味だが、そこには自浄作用が含まれる。互いに競争しあうことにより、より高い理想に向かうのである。しかし、それと共に弱肉強食の原理も働き、戦争という悲惨な状況がもたらされることにもなる。いったいそれ以外に方法がなかったのか。全能の神にもそれは不可能なのか。ある意味でそれは、不可能なのだと思う。神は、徹頭徹尾、ご自身が創造した人間の自主性を尊重されているようだ。聖書の神は、人と契約を結ばれる神なのである。そして、契約というものは、その責任を両者が同等に持つべきものなのだ。このことを死守する限り、神の世界への介入は、このバベルにおける出来事以上のものにはなり得ないのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年7月11日 | トップページ | 2015年7月14日 »