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2013/09/23

第4章 自由主義的キリスト像

 宇宙を包み込む広大なへーゲル哲学も19世紀半ばには衰退を始めていた。それは、へーゲル主義自体が抱えていた、内部的な不統制(右派、左派の存在等)にも起因するが、もう一つの要因として、自然科学の進歩がへーゲル哲学の主張(たとえば惑星の理論的な個数等)に反する事実を次々に発見して行ったことが挙げられるという。人々は、へーゲル哲学に代わるべきキリスト教の基礎を捜し求めたが、それは容易には得られなかった。そして、当時もまだシュライエルマッハーの神学は人々から好意を持たれていたこともあり、ここに来てキリスト論の重要性に再び目が向けられてくることになる。そこでは、キリストの人性の強調と神性との間の調和等についても熱心に議論が行われ、キリストは受肉に際し、その全能性の使用をあえて断念していたという「謙卑論」や、人に知られずにそれを用いていたという「秘匿論」等が提起された。人となったキリストに関するこのような考察は、それ自体、キリストに対する一途な信仰を目指すものであり、そのためには、キリストの人物像を正しく把握する必要があると共に、人間の側からの把握の限界をも素直に認めて、それを信じる自己の受け取り方に対しても様々な反省を求めるものであった。たとえばリッチュルは、イエスが神であるということを客観的に把握することをもはや断念し、「信仰は、イエスを神という宗教的価値を持つ存在と認めるキリスト者側の価値判断である」とした。またヴィルヘルム・ヘルマンもその行き方を継承し、「イエスの宗教的重要性は、その宗教的人格にあり、その内的実存が信仰者の心に形作る影響の中にある」として、「信仰の確信は、主観的なものである」と主張すると共に、イエスの宣教の中で、個人の主観と関係の薄いと思われる終末論的な要素を軽視した。
 これは、聖書からの乖離の最初の契機であり、マクグラスは、「リッチュルが、イエスを、自己満足的思想へと向かう歴史の出発点に他ならないものと考えたという結論は避けがたい」と言う。つまり、ヘーゲルが目指した、哲学を基礎にする理詰めの信仰への反発として、「信仰は、そのような理論ではなく、受け取る側、信じる側の純粋な積極性である」という提起がなされた。それは、ある意味でシュライエルマッハーへの回帰とも言えるが、根本的に異なるのは、そこに観念的な強まりがあり、聖書以上にキリストを求める傾向にあったことである。そこから、「聖書は、果たしてキリストに関して、真実のみを伝えているのか?」との疑問が起こってきた。今日の私たちも、純粋な信仰を追求しようとするあまり、聖書を勝手に解釈するようなことのないよう気をつけなければならないだろう。
 そして、アドルフ・フォン・ハルナックに至って、ついに、一つの驚愕すべき動きが現れる。それは、いわゆるパウロの神学への疑義であり、「贖罪の神の子キリストという考えは、ナザレのイエスの宣教にはなかったものであり、それは、ヘレニズム文化を背景としたギリシャ社会に当時のキリスト教が順化する過程において生み出されたものだ」という主張であった。ハルナックにとっては、初期のキリスト教の歴史は、イエスに関する本質的に簡明な使信が次第に不純になっていく歴史なのであった。これは、純粋信仰にとっては、フォイエルバッハによるキリスト教批判と比べ、いっそう恐ろしいものであり、それは聖書の無謬性に対する疑義であり、聖書をもはや神の言葉とは考えないという立場である。
 ここに一つの事実が判明する。それは、キリスト教に対するもっとも恐ろしい挑戦は、他でもないキリスト教の中から生まれてくるということである。それも、キリストに対する一途な信仰の追及の中から生まれてくるのである。例えば、「救いに人の自由意志が介在する」という教説はどうであろうか。聖書のどこにそのような思想が記されているだろうか。かつて、ウエストミンスター信仰会議は、「神の二重予定」という恐ろしい教説を提起した。それによれば、神は、救いに選んだ人を恵み、滅びに選んだ人を遺棄するという。しかしそれは、聖書に記されていることからの単純な帰結であり、そこに人の自由意志は介在しない。これまで述べてきたことから、どちらの教説が神の栄光となり、どちらの教説に恐ろしい野心が潜んでいるかを良く考えてみる必要があるのではないだろうか。

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