森の中で
独立開業のために受けた資格試験の結果が思わしくなかったので、しばらくふさぎこんでいたが、また道を走り始めた。もういちど最初から、やり直そうと思うとき、一人になりたくなる。かつて、聖書の中の預言者たちも、山に分け入って修行に専念したようだ。しかし修行と言っても、聖書の世界では、苦行のようなものではなく、祈りが中心だったのだろう。こうして山に分け入って、木々の間を走っていると、自分の中で、何かがもう一度動き始めるように感じる。このエンジン音や振動とは、また別の何かが。それは、癒しだろうか、刷新だろうか、承認だろうか、はてまた逃避だろうか。「あの試験に一回で合格していたら・・・」と考える。しかし、何だか今は、心が晴れ晴れしている。自分がいま、ここにいて、ここを走っていることは、一つの必然であるようにも思える。それは、妥協だろうか。いや、また初めからやり直そうというのだから、妥協ではないだろう。
森の中の木の一本一本から、エンジンの音が跳ね返ってくるようにこだまする。坂道を無心に登るうちに、見通しの良いところに出たので、車を停めて遠景を眺めた。ここ埼玉は、いまや私の第一の故郷となっている。かつては、生まれ故郷の信州が懐かしく、その風景に憧れ、自分の心のように思っていた。しかし、ここではもはや3番目の子の長女が巣立って行こうとしている。彼らは、ここしか故郷を知らない。いま、こうして道を走っていると、何だか、自分の家族の故郷としてのこの地を初めて、新しく、深く体験しつつあるように思えるのだ。
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