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2013/06/07

第1章 啓蒙主義 - 新しいキリスト論の様式

 「啓蒙主義」という用語が一般的に使われるようになったのは、19世紀の最後の10年ということらしい。しかしこの思想は、実際は早くも17世紀イギリスの理神論に起源を持つと考えられ、宗教改革後のプロテスタント主義にとって大きな対抗勢力となる。この言わば烏合の衆のような思想は、いったいどこから湧いて来たのか。しかしそれは、さながら一つの意志を持つものであるかのように、プロテスタント自身も意識していなかった「キリスト論」への集中により、イエス・キリストの人格と史実性へ標的を定めていたのであった。その影響は、ローマ・カトリックや東方正教神学よりも、まさにプロテスタント神学に大きな爪あとを残すことになる。マクグラスは、その理由らしきものを4つばかり挙げている。まず第1に、「プロテスタントの教会制度が比較的弱かったこと」、第2に「プロテスタンティズム自体の本性である抗議の精神の存在」、第3に「プロテスタンティズムのもって生まれたインテリ気質」、第4に「地理的な条件の重なり」である。
 それでは、啓蒙主義のキリスト教批判とは、どのようなものだったのか。マクグラスによれば、それは、人間理性の全能性と普遍性という原理を基盤としており、「キリスト教の信仰は、本来合理的なものである」という考えである。そこからキリスト教に関して、3つのことが帰結してくる。第1に、「それは、批判的検証にも耐え得るはずだという主張」、第2に「それは、理性そのものから導き出すことができるという主張」、第3に「啓示さえも理性で吟味されるべきであるという主張」である。このように啓蒙主義により、人間の理性の万能性が主張され、非合理的または迷信的要素が排除されることになった。それにより、「奇跡」や「啓示」、「原罪の教理」が否定され、福音書が描く「神の子の贖罪」という教理を、「宗教家イエスの宣教の失敗をごまかし、宗派を存続させるための、弟子たちの発明」であると結論づけ、彼ら独特の新しいイエス像を構築したのであった。それが「史的イエス」という像であり、新しいキリスト論の様式であった。そこでは、「イエスは、道徳的教師」、「理想的愛の模範」という位置づけを与えられたのであった。
 この「啓蒙主義」という思想の本質は、いったいなんだろうか。それは、限りなく人間主義的であり、すべてを理性で判断し構築しようという意志である。しかしそれでは、何を信じたら良いのか。然り、啓蒙主義においては、「自分が信じるものを自分が決める」のである。しかし、もし一度信じたものが間違っていたとしたら。そのときは、あっさりそれを捨てて、次のものを考え出すのである。いや、たとえ間違っていたのではなくても、自分の気に入らなくなったものは、すぐに捨てて、新しいものを考えるのである。そして、それが進歩であり、理想の追求ということなのだろう。しかし、それを繰り返すことにより、何が明らかになるのかを啓蒙思想は知らない。それは、自分自身が永遠に実験的であることが確実になるということである。キルケゴールが示唆した「実験的な自己」とは、実に「御伽噺(おとぎばなし)」であり、自分のすべてがその「おとぎばなし」に近づいているということなのである。
 こんな風に締めくくると、「啓蒙思想」は、恐ろしい思想であり、今日のキリスト者には、およそ関係のない極端な思想のように思えるかもしれない。しかし、本当にそうであろうか。教会内に、プロテスタント独特の「抗議の精神」が満ちていないだろうか。また、聖書研究や壮年会、青年会等の学びや話し合いのときに、理性的、論理的な思考や論証が熱烈な信仰よりもむしろもてはやされるようなことはないだろうか。「信仰のバランス」等という美辞麗句を教会生活のスローガンにし、熱心な信徒の献身の思いを挫くようなことになっていないだろうか。さらに、社会的な地位や教養、名声などが評価の要素になっていることはないだろうか。もしそんなことがあるとしたら、今日の教会にもまだ「啓蒙主義の芽」が残っていて、いつ芽を出すかも知れないと言えるのかもしれない。

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