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2013/06/04

 アリスター・E・マクグラスは、この本で、宗教改革後に起こった啓蒙主義の流れを、「新しいキリスト論の様式」と位置づけ、この思想を中心に、ドイツ語圏のプロテスタント神学の伝統について、一般的な考察と共に、彼独自のストーリーを展開している。まことに、ドイツにおけるキリスト教神学の種々の分野は、この啓蒙思想への同調、あるいは対抗を通じて花開いたと言えるかもしれない。それは、かつて信仰の純粋性を目指して、当時の主流から自らを分離したプロテスタントが、さらに自らを精鋭化していく道筋とも見られる。その流れの母体となった啓蒙思想とは、いかなる思想なのか。それをマクグラスは、3つの特徴で言い表す。それらはまず、人間理性の能力の強調による「啓示的事柄の排除」。次に、歴史は均質であるとの主張による、特別な「救いの御業の排除」。さらに、それらからの結論としての「聖書の無謬性の否定」である。その根源は、「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった」という創世記の記述に見出されるところの、悪魔が提供した、人間理性への全面的信頼の構図であった。
 この恐ろしい思想に、当時まだ生まれたばかりのプロテスタント神学は、どのように対応したのだろうか。彼らは、心を一つにして、神の言葉の純粋性を守り抜いたのだろうか。そもそも神は、なぜそのような試練をプロテスタントに与えられたのだろうか。しかし一方で、そのことのゆえにプロテスタント信仰は、自己を深く見つめ、その神学的基礎を形成していくのである。そのようにして、多くの教派が生まれてきた。この豊かさと多少の混乱は、いったい何を意味するのか。今はもう、かつての啓蒙思想のような恐ろしい思想は、存在しないのだろうか。それとも、もっと危険な思想が忍び寄っているのに気づかずに過ごしているのだろうか。そして、終わりの時代と言われる現代に信仰を与えられた私たちキリスト者は、この時代をどのように生きるべきだろうか。そのようなことをじっくり考える機会を与えられれば幸いである。

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