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2012/10/16

クロノスとカイロス

 ギリシャ語には、「時」と訳される言葉が2つあるという。「クロノス」と「カイロス」である。一般的に、「カイロス」は、「神の時」とか「重大な転機」というような、何か預言的でもあるような、劇的な瞬間を表わしているようであり、聖書的には、この「カイロス」が重要で、「クロノス」の方は、あまり取り上げられてこなかったように思う。しかし私は、この「クロノス」が非常に重要に思える。それは、言わば「時の流れ」を意味しており、その意味で「原因と結果を結びつけるもの」、「因果の力」とでも言うべきものである。旧約聖書は、この因果応報のモチーフの宝庫である。例えば申命記に、「見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。」とある。「祝福と呪い」それは、行いの結果である。その意味で、旧約聖書は、時間の流れの中に展開された、神の真理のモチーフの宝庫である。しかし、主イエスはこう言われた、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」つまり、原因、即、結果であるという教えを語られたのである。その意味では、新約はつねに「カイロス的」である。「あなたの罪は赦された」、「主イエスは、死に打ち勝ち、甦られた」、「悪の力は打ち破られた」、「あなた方は、人の子が天の雲に乗って来るのを見るであろう」、・・・・。そして、そのような観点で旧約聖書を見るならば、それは何か、使い古された、価値の失せた遺物のように見えるだろう。しかしそうではない。むしろ新約もカイロス的ではなく、クロノス的に解釈されねばならないと思う。なぜなら、それは永い救済の歴史の到達点なのだから。
 私は天国は、カイロス的だと思う。つまり、「原因、即、結果の世界」である。だから主イエスは、そのように教えられた。天国に入るためには、カイロス的な思考に慣れなければならないと。「私が地上のことを語ったのに信じられないなら、まして天のことを語ったらどうして信じられようか」と。天では、「風は、思いのままに吹く」。そこには、因果関係は存在しない。原因、即、結果なのである。つまり、悪いことを考えたら、それがそのまま実現する。そこは、永遠の世界であり、軌道修正のための時間は存在しない。すべてが、完成されてしまっているのである。だからといって、それはすべてが固まった、死の世界ではない。返ってそれは、すべてが「思いのままに吹く」動的な世界、思ったことが即現実となる世界である。この世界は、そこへ行くための準備の時間なのかもしれない。イスラエルの民が、約束の地に入るために、荒野で訓練されたように。私たちは、この時間の世界の中で、因果応報を心に刻み付ける必要がある。旧約聖書は、私たちへの教訓のために書かれた。「光があるうちに、光の中を歩め」とは、「時間の流れのあるうちに、因果応報を理解せよ」との意味である。だから、カイロスの真の意味を理解するには、クロノスの意味を知る必要がある。そして、カイロスはクロノスの中に含まれる。クロノスなしにカイロスは存在しない。
 黙示録の中に、「二十四人の長老が御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出した」とある。彼らは、永遠の礼拝をささげる者たちである。永遠に自分の冠を投げ出している。拾い返す必要はない。そこは、カイロスだけの世界である。そこでは原因と結果は、一つなのである。

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