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2012/07/24

霊薬の効用

第十七章
 泊まっていた部屋の直中で勃発した大騒動に巻き込まれて、したたかに痛めつけられ、気絶していたドン・キホーテも、やがて正気に戻り、前日、打ちのめされて「棍棒の谷に横たわっていた」ときと同じ力のない声で、従士に呼びかけ、こう言った、「サンチョよ、眠っておるのか?眠っておるのか、友のサンチョよ?」「とんでもねえこった。なんで眠ってなんかいられるもんですかい」と、サンチョが憤懣やる方ないといった、いかにもいまいましげな調子で答えた、「今夜は、まるで悪魔という悪魔がおいらに付きまとってるみたいな気がするっていうのに」。
 しかしドン・キホーテは、自分が受けた苦痛と侮辱のことなど微塵も考えていなかった。彼が考えていたのは、その苦痛と侮辱を彼にもたらした原因のことであった。しかもそれを彼は、自分の気高さが敵の心に引き起こした嫉妬が原因だと考えたのである。彼は従士に語った「今夜わしの身に、およそ想像しうる最も不思議な冒険のひとつが起こったのじゃ。それをかいつまんで話せばこういうことになろう。実はほんの今しがた、この城の城主の姫君が人目を忍んでわしのもとにお越しになったが、それはそれは、この地上をくまなく探しまわっても、二人と見つからぬほど優雅にして美しい姫君でござった」と。それがたとえ妄想だったとしても、また実現性のない願望だったとしても、彼の気高さは妄想などではない。彼を造られたのは神であり、彼は神の似姿に創造されたのだから。人は、それを自覚すべきである。しかし、もし自覚していないなら、彼は神を軽んじていることになる。なぜなら、人は神が彼に成された大いなる恵みに無関心であってはならないし、彼の使命は、ここから発するのだからである。例えば、隣人を愛するとか、福音を宣べ伝える等々である。
 しかし、その身に受けた傷があまりにひどく痛むので、このときとばかりにドン・キホーテは、かのフィエラブラスの霊薬を作るために、その材料の調達をサンチョに依頼した。宿の主人から快くそれらを分けてもらうと、彼はそれらを混ぜ合わせ、もうこれで十分と思われるまで長いこと煮立てて、一種の混合液をつくった。次いで彼は、この液を前に、八十ぺんを越える主の祈りを唱え、さらに同じくらいのアベ・マリアと聖母の祈り、使徒信経を繰り返した。そして一口、と言っても一リットルほども試しのみをしてみると、途端に激しい吐き気に見舞われて、胃の中のものをすっかり吐き出した後、三時間以上も眠り込んだが、やがて目を覚ました彼は、自分の体がたいそう軽くなり、打ち身のほうもずっと楽になった感じがしたので、もうすっかり完治したと勘違いし、自分がフィエラブラスの霊薬をつくりあてたものと考えたばかりか、これさえあれば今後はいかなる種類の苦難にも、合戦にも、決闘にも、よしんばそれらがいかに危険に満ちたものであっても、すこしも恐れることなく平然と立ち向かえると確信したのであった。それを見たサンチョが、自分にも飲ませてくれと言うと、ドン・キホーテは快く許したが、サンチョの腹はドン・キホーテほど華奢ではなかったゆえに、飲んだ物を吐くに吐けず、まさに七転八倒の苦しみに耐えねばならないはめになったのであった。「サンチョよ、お前のその苦しみはすべて、お前が正式に叙任された騎士にあらざるところからきているに違いない。それというのも、たしかこの霊薬が効くのは正式の騎士に限られていたはずだからじゃ」とドン・キホーテが言った。このことは信仰者にも当てはまるであろう。もし彼がいい加減な気持ちで、つまり主イエスの救いを受けた後に、彼の弟子としての自覚を持たずして、宣教の業に励むならば、彼には神からの十分な護りは期待できないということだろう。なぜなら、天の特別の護りは、主イエスの弟子にのみ伴うものだからである。
 一方ドン・キホーテは、体がすっかり元気になったように感じて、すぐにでも冒険を求めて度に出たいと思った。こんなところでぐずぐず時間をつぶしていれば、自分の庇護と援助を必要としている世界と世の人々をそれだけ待たせることになると考えたからであった。そして、やっと落ち着いたサンチョを早くも咳かせてロバに乗せて出発しようとしたところ、宿屋の主人から宿代を請求されたが、例によって遍歴の騎士の前例にないと断って、ロシナンテに鞭をあてて走り去ったが、サンチョは捕まって、散々な目にあわされる羽目になったのであった。

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