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2012/04/16

永遠の世界の生活の練習

 最近、つらつら考えていることなんだけれど。つまり、この世界は、私たちが行くべき永遠の世界の練習なんだということである。どうもそんな風に思えて仕方なくなってきた。まず、この世界には、永遠の世界の雛形がたくさんある。旧約聖書における「戦い」も、イエス様が言われた「天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」という言葉に表れているように、やがて来る天の御国における戦いの雛形なのである。「天に行ってまで戦いをしなければならないのだろうか」と思われる方もたぶんおられるだろう。しかし、この「天の戦い」は、この地上の戦いのように戦死者は出ないし、また搾取されたり捕虜になったりする者もない。それは、「霊的な戦い」であり、これこそが本当の戦いだったのであり、それがこの地上に焦点を結ぶと、たぶん天上におけるそのエネルギーの大きさのゆえに、この世界を破壊し、多くの悲惨を生み出すことが多い。しかし、「戦い」の真の姿は、そのようなものではなく、強いて言えば、旧約聖書に書かれているすべての「栄光、尊厳、誉れ高きこと、愛、・・・」それらのすべて、つまり主イエス・キリストの王としての御性質がそこに漂い、ほとばしり出ているところのものなのである。それを想像しただけで、まったくため息が出てくるほどだ。ああ、そのためには、自分のすべてを賭ける価値のあるもの、それが「天における真の戦い」なのである。
 次に「生むこと」これは、旧約聖書によれば、エバが罪を犯したために、苦痛なものになってしまったが、たぶんそれ以前には、そのようではなかったのだろう。ときどき「復活が信じられない」という方がおられるようだが、復活は以前生きていた者が一度死んで甦ることだが、「生まれる」とは、何もないところから生命が誕生することであり、しかも、何の変哲もない一般人のお腹の中に誕生するのである。これこそがまさに信じられないことではないだろうか。この「生まれる」こと、「生むこと」が不思議でないのなら、復活だけでなく処女降誕までも、別に不思議なことではなくなるのではないだろうか。そして、この「生むこと」は、「自分と同じ存在を創造すること」であり、天上においては、人がその似姿に作られた「神を生むこと」なのである。その雛形が新約聖書の中にある「マリアの処女懐胎」であり、マリアはまぎれもなく「神の一人子」を産んだのである。この地上において、私たちが自分と同じ人間を産むのは、父なる神の心を体験するためであり、生まれてくる子にとっては、父なる神を体験するためなのであり、それが天国においては、神ご自身を限りなく身近に知ること、神と一体になることであり、それが「神を生むこと」なのである。
 こんな風に取り上げていくと、きっと何時間かかかりそうなので、これで最後にしたい。それは、「時間」についての考察である。この世界においては、時間というものがあるが、来るべき永遠の世界においては、時間というものはない。そこでは、すべてのものは考えた後は、それが一瞬よりも早い内に生起する。例えば、ケーキを食べたいと思えば、そう考えた瞬間に、もうケーキを食べている。いや、もう食べてしまっている。良いことを考えれば、その瞬間にそれが成就する。どのようなすばらしいことも、何の困難もなく、時間も掛からずにそれが実現する。その反対に、どんな悪いことも、瞬間的に実現するということになったらどうだろうか。しかし、永遠の世界には時間が無いというのなら、きっとそういうことになるのだろう。つまり、そこでは、原因即結果であり、それは一体なのである。これは、ある意味ですばらしい世界であり、またある意味で、恐ろしい世界である。そこで生きて行くためには、悪いことを考えてはならない。悪いことは、回りまわって自分に帰ってくることを私たちはこの世界で、時間の中で学んだはずだからである。そして、この時間の中の世界においては、良いことを実現するためには、大きな努力と犠牲を払わなければならない。そうして汗水たらして、必死の努力をして、やっと一つの良いことが実現する。しかし永遠の世界ではそうではない。良いことを考えたら、それがすぐに実現する。だから、もっともっと良いことを考えよう。誰よりも良いことを。そして、もっともっと良いことがあるのである。いったいどんなことがもっともっと良いことなのか。一見良いと思えても、その結果が必ずしも良くないようなこともたまにはある。しかし永遠の世界でそんなことになっては困る。それがすでに実現してしまうからである。だから、私たちは、どんなことが良いことなのかをこの時間の中で学んでいるのである。ここなら、完全に失敗する前にそれが分かる。時間がブレーキやクッションの役割をしてくれるからである。この世界で、人生を生きながら十分に真剣に学んだ人は、永遠の世界で失敗することはないだろう。そして、彼は、聖書に書いてあるように永遠の世界を生きるのである。つまり、「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」ピリピ 4:8

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