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2012/02/11

自分自身を脱ぎ捨てるということについて

 「自分自身を脱ぎ捨てる」とエックハルトは言う。しかし、もし自分を失ってしまったら、すべてのことに意味がなくなってしまうのではないか。それは、いったいどういう意味なのだろうか。彼は語る、「自分自身を捨て去るならば、そのことによって人は、キリストと、神聖と、浄福とをみずからの内に迎え入れるのである」と。つまり、自分を捨てるというのは、自分という孤立した概念を捨てて、自分を全宇宙的なものとして認識することなのである。しかし、精神の世界における真理の認識は、その内容と共にその発見者に絶対的な強制力を持つ。特にそれが発見者自身に関わるものである場合には、彼自身がその発見した真理になること、すなわち「変容」を強いるのである。しかしそのとき、彼自身は消滅してしまうのではなく、彼の個別性もまた存在し続ける。彼は自分を個として認識し続ける。しかし同時に彼は全体でもあるのである。それは、「全体の中の一つの個」という意味ではなく、全体そのものでもあるという有り方においてである。そして、この一見矛盾するようなことこそが「三位一体」の秘密であり、「キリストが人となったこと」の秘密でもあるのである。このように三位一体は、私たちの成り行きと密接に関係しており、それゆえこの三位一体を信じなければ、人はキリストの恵みを完全な形で受け取ることもまたできないのである。エックハルトは語る、「なぜならば、三位の位格が一なる有である、この神的有の根底においては、魂はこの根底に基づいて、神とひとつだからである。それゆえに、あなたが望めば、一切の事物も神も、あなたのものとなる。あなた自身と一切の事物とを、あなた自身のもとにあるあなたの一切を捨て去りなさい。そして、神のもとにあるあなた自身をつかみなさい」と。
 それでは、人が個でもあり、また全体でもあるとは、いかなることなのか。その秘密はまさに、神が人の魂を創造されたその形態にある。「そう、神である一切のものにかたどり、神の本性にかたどり、神の有にかたどって、神より流れ出て、神の内にとどまりつづける神のわざにかたどって、神が神自身のもとにある神の根底、そこで神は聖霊が発出する神の独り子を生むのであるが、その神の根底にかたどって、神より流れ出て、神の内にとどまりつづけるこのわざにかたどって、神は魂を創造したのである」とエックハルトは語る。つまり、個としての存在である人の魂は、また全宇宙的な存在である神に象って創造されたゆえに、全宇宙的な存在としての宿命を持っているのであり、それはしかし自己の個別性と矛盾するものではない。むしろ、この宇宙における個と全体の関係とは、最初からそのような構造をしているのであり、従来の私たちの「全体」というものに関する概念は、むしろ「全体」をあたかも一つの個と見るような認識であったということなのである。そして、このことを認識する者は、また三位一体の概念をも矛盾なく認識するであろう。そしてこれらのことは。また永遠から永遠に至る時間の流れと、いま私たちが生きるこの一瞬との間にも当てはまる。つまり、今のこの一瞬は、その内にすべての過去の結果とすべての未来への可能性を含んでいるということにおいて、上記のような個と全体の関係を持っているのである。つまりそのように、今のこの一瞬は、永遠の時間の流れの中に包含される限りなく小さな一こまに過ぎないのではなく、むしろその存在性という観点からは、歴史的な事実も綿密な計画も、今この一瞬以上の現実性を持ってはおらず、その意味でそれらは、今というこの一瞬に包含されていると言えるのである。そして、今述べてきたこれらのことを真に自分のこととして認識し、それを真理としてそれ自身になろうと欲すること、すなわち「変容」しようとすることこそが「自分自身を脱ぎ捨てる」ということなのである。
 それでは、例えばそのようになろうと決意した者がいたとして、その者は、いったいどのようにすれば、そうなれる、すなわち「変容できる」のだろうか。エックハルトは、そうなるために2つの形態について提示する、「どうすれば正しいあり方となるのであろうか。預言者の言葉に従えば二つのあり方においてである。預言者は、『時が満ちると、御子が遣わされた』と語っている。『時が満ちる』のには二つの仕方がある。ひとつは、たとえば晩に一日が果てるように、その終わりにおいて、あるものが『満ちる』場合。つまり、すべての時間があなたから失われるとき(つまり死するとき)、このときが時が満ちるのである。二つ目は、時間がその果てに至るとき、つまり、時間が永遠のうちへと入るときである」と。「変容」は、この後者の形態である。つまり、あなたがいま生きる一瞬、この一瞬に意識を集中させるとき、そこにはもはや、回想も戦略もなく、過去も未来もない。ただ神がそこにおられる。神からあなたへやってくるいかなるものもなく、あなたから神へ向かうものも存在しない。なぜなら、神は、もはやあなたの外にではなく、あなたの只中におられるからである。
 エックハルトは祈る、「これが『時が満ちる』という意味である。そのような正しいあり方にわたしがいたれば、わたしは真に神の独り子となりキリストとなるのである。この『時が満ちる』ところにまで、わたしたちが至るよう、神がわたしたちを助けてくださるように。アーメン」。

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