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2012/01/28

スマートフォンの中の母

 母は、いまも私のスマートフォンの中にいる。生前、病棟の母を毎日のように撮影していたから。おびただしい肖像は、入院の日から、未明の死に顔に至るまで、収められていて、ときどき開いて見ていた。このところ事務的にいろいろと忙しく、しばらく見ないでいたが、最近また見てみて、今までに無い美しさを覚えた。それらは、死を前にしても安らかで、苦しんで死んだ様子はなかった。そこに、あらためて神のやさしさを感じた。
 最後まで、全身の力を使って、トイレに座って用を足していた母。それ以外には、なにもできることはなかった。日一日と力を失って行く母と話していて、「人間てなんだろう」と考えた。そんな母にとっては、「今日は、外はとても寒いよ」とか、「昨夜は、次男の帰りが遅かったよ」とか、「仕事で社長にほめられたらしいよ」とか、「長女も勉強頑張っているよ」とか、そんなことが話題のすべてだった。本当は、人間は、最後には、そんなことを聞いて、喜んだり、安心したりするだけがすべてなのだろう。それはきっと、最初から人間にとって意味のあるのは、そんなことだけだということを示しているのではないだろうか。そうなって初めて、いままで自分が大切にしたり、重要に思ったりしていたことが、実はただの塵に過ぎなかったことが明らかになるのではないだろうか。人間に必要なのは、究極的には、一つの純真な心と一畳のスペースだけなのだろう。そして、それが天国なのだと私には思えるのだ。そして、そこに神がおられる。そして、もう他には何もいらないのだ。それがすべてなのだと。

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