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2011/10/13

味わうべきものは、味わわせて欲しい。お願いだから。

詩編は、味わって読むものだと思う。それを「直訳だ」と言って、無味乾燥なものにしないで欲しいのだ。

●神がある場所に住むために、資金確保として、人々から貢物を取るのだろうか。
詩篇 68:18
【新改訳】
 あなたは、いと高き所に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。
【新共同訳】(19節)
 あなたは高い天に上り、人々をとりことし人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。

●二つの文のつながりが重要だと思う、それが文脈というものだから。
詩篇 83:16
【新改訳】
 彼らの顔を恥で満たしてください。主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください。
【新共同訳】(17節)
 彼らの顔が侮りで覆われるなら、彼らは主の御名を求めるようになるでしょう。

●両方の訳で、前後の文の時制が正反対なのだが、意味が通るのは、どちらの訳だろうか。
詩篇 119:139
【新改訳】
 私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。
【新共同訳】
 わたしの熱情はわたしを滅ぼすほどです。敵があなたの御言葉を忘れ去ったからです。

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