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2011/10/14

接続詞の不自然な用法(これで、ひとまずおしまい)

 「そのようなわけで」という句で二つの文をつないでしまったら、前の文は後の文の理由になってしまうのではないだろうか。そもそも、「そのようなわけで」などという凡人っぽい言葉使いを聖書に用いるべきだろうか。

ヨハネ 11:5~6
【新改訳】
 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
【新共同訳】
 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。

 いま、あえて新改訳聖書を使って聖書通読をしているので、読んでいて変だと思うところをメモして行くと、我慢できるようなものは省略しているのだが、あとから後から指摘したい箇所が出てきて、デボーションの邪魔になるほどだ。こんなことをしていても、聖書を読んだ気にならないから、もうこれくらいにしておこう。「あとは同様」ということで、推して知るべしである。

 でも、最後に言っておきたい。新改訳聖書も、無いよりはましである。だから今、通読に使っているのだ。

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自分で聖書をもっと勉強すべきではないだろうか

新改訳聖書の訳者たちは、聖書を読んでいないとしか思えない。自分で理解していないからこそ、このような支離滅裂な翻訳をして、平気なのだ。自分の訳した聖書を毎日のデボーションで使っていたら、こんなことにはならないに違いない。

●「わたしの民の娘」を「溶かしてためし」て、どうしようと言うのだろうか。
エレミヤ書 9:7
【新改訳】
 それゆえ、万軍の主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らを溶かしてためす。いったい、わたしの民の娘に対し、ほかに何ができようか。
【新共同訳】(6節)
 それゆえ、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしは娘なるわが民を火をもって溶かし、試す。まことに、彼らに対して何をすべきか。

●主が「諸国の民の王」には、違いないが、それでは「人間の王」と区別がつかない。「諸国民の王なる主」と訳さなければならないだろう。
エレミヤ書 10:7
【新改訳】
 諸国の民の王よ。だれかあなたを恐れない者がありましょうか。それは、あなたに対して当然なことです。諸国の民のすべての知恵ある者たちの中にも、そのすべての王国の中にも、あなたと並ぶような者はいないからです。
【新共同訳】
 諸国民の王なる主よ、あなたを恐れないものはありません。それはあなたにふさわしいことです。諸国民、諸王国の賢者の間でも、あなたに並ぶものはありません。

●この言葉の前でエレミヤは、カルデヤ人によるエルサレムの占領を預言していた。そして、この言葉は、彼がアナトテの畑を買うことを主から命じられたという預言の始めである。それらのつなぎの言葉として、「そのとき」という言葉は、不適切と言うほかはないだろう。
エレミヤ書 32:6
【新改訳】
 そのとき、エレミヤは言った。「私に次のような主のことばがあった。
【新共同訳】
 さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。

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