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2011/10/13

象徴的で豊かな表現が返って下品になっていないか

預言書には、象徴的な表現が多く出てくる。それは、象徴的に翻訳しなければならないと思う。それを読者の負担にしてはいけない。誰が読んでも、象徴的表現は、そのように受け取られるように訳すべきだと思う。

イザヤ書 60:16
【新改訳】
 あなたは国々の乳を吸い王たちの乳房を吸う。あなたは、わたしが、あなたを救う主、あなたを贖うヤコブの全能者であることを知る。
【新共同訳】
 あなたは国々の乳に養われ、王たちを養う乳房に養われる。こうして、あなたは知るようになる。主なるわたしはあなたを救い、あなたを贖う者、ヤコブの力ある者であることを。

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教訓、訓戒としての箴言を尊重して欲しい

箴言には、1節が2つの短文から成り立っているものが多いように思う。それは、「こうならば」、「こうだ」とか、「こうすれば」、「こうなる」という教訓を語っているのだと思う。しかし、新改訳聖書を読む限り、そのような教訓として訴えかけてくるものが少ない。だから、読む人に影響力が少なく、箴言の価値が著しく低下しているように思えるのだ。

●「AはB」と言うのと「BはA」と言うのとは、AとBが同値であるとき以外は、意味がまるで異なるものとなる。
箴言 20:27
【新改訳】
 人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。
【新共同訳】
 主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。

●1つの節に入れられている2つの文の間の関係は、やっぱり気にして欲しい。そうでなければ、読む人に、その節の言おうとしていることが伝わらないと思う。
箴言 24:7
【新改訳】
 愚か者には知恵はさんごのようだ。彼は門のところで、口を開くことができない
【新共同訳】
 無知な者に知恵は高尚すぎる。城門で口を開くべきではない。

●「小羊」と聞いたら、「主イエス」だと思ってしまうかもしれない。
箴言 27:26
【新改訳】
 小羊はあなたに着物を着させ、やぎは畑の代価となる。
【新共同訳】
 羊はあなたの着物となり、雄山羊は畑の代価となる。

●「その名」は、「主」で、「その子の名」は、今では有名な「主イエス・キリスト」であっても、この時代の人に、「あなたは確かに知っている」と言うべきではないだろう。
箴言 30:4
【新改訳】
 だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている
【新共同訳】
 天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め、その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか。

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味わうべきものは、味わわせて欲しい。お願いだから。

詩編は、味わって読むものだと思う。それを「直訳だ」と言って、無味乾燥なものにしないで欲しいのだ。

●神がある場所に住むために、資金確保として、人々から貢物を取るのだろうか。
詩篇 68:18
【新改訳】
 あなたは、いと高き所に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。
【新共同訳】(19節)
 あなたは高い天に上り、人々をとりことし人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。

●二つの文のつながりが重要だと思う、それが文脈というものだから。
詩篇 83:16
【新改訳】
 彼らの顔を恥で満たしてください。主よ。彼らがあなたの御名を慕い求めるようにしてください。
【新共同訳】(17節)
 彼らの顔が侮りで覆われるなら、彼らは主の御名を求めるようになるでしょう。

●両方の訳で、前後の文の時制が正反対なのだが、意味が通るのは、どちらの訳だろうか。
詩篇 119:139
【新改訳】
 私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。
【新共同訳】
 わたしの熱情はわたしを滅ぼすほどです。敵があなたの御言葉を忘れ去ったからです。

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時間の文脈を疎かにしていないか

 ヘブライ語は、時間的な前後関係をどのように表現するのだろうか。たぶん、文法的には、あまりはっきりとした規定がないのではないだろうか。レビ記のこの部分の訳を見ているとそんな気がしてくるのだが。いずれにしても、前後関係をはっきりしないと、読む人にとっては、意味が通らない内容となり、結果的に聖書の言葉を軽んじることにもなるのではないだろうか。何と言ってもこれは、神が与えられた律法の言葉なのだから。

レビ記 17:15
【新改訳】
 自然に死んだものとか、野獣に裂き殺されたものを食べるなら、この国に生まれた者でも、在留異国人でも、だれでも、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れている。彼はきよい

【新共同訳】
 死んだ動物や、野獣にかみ殺された動物を食べる者は、土地に生まれた者であれ、寄留者であれ、その衣服を水洗いし、身を洗う。彼は、夕方まで汚れるが、その後は清くなる

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