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2011/10/12

文脈を読み取って、意味を通して欲しい

 歴史書は、特に文脈が重要である。それは、一つ一つの言葉から独立した教訓を得るというのではなく、物語(もちろん実話なのだが)の全体が一つの教訓であり、天国の真理であり、神の主権であり、愛であるということなのである。だから、文脈を無視したら、それはまるで価値のないものになってしまいかねないと思うのだ。
 以下、文脈だけではないが、幼稚な表現も併せて掲載する。

●サムエル記第二 7:10、11
【新改訳】
 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。
 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』
【新共同訳】
 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。

●サムエル記第二 12:14
【新改訳】
 しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。
【新共同訳】
 しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。

●サムエル記第二 19:38
【新改訳】
 王は言った。「キムハムは私といっしょに渡って来てよいのです。私は、あなたが良いと思うことを彼にしましょう。あなたが、私にしてもらいたいことは何でも、あなたにしてあげましょう。」
【新共同訳】
 どうか僕が帰って行くのをお許しください。父や母の墓のあるわたしの町で死にたいのです。ここにあなたの僕キムハムがおります。これに主君、王のお供をさせますから、どうかあなたの目に良いと映るままにお使いください。

●サムエル記第二 23:19
【新改訳】
 彼は三人の中でもっとも誉れが高かった。そこで彼らの長になった。しかし、あの三人には及ばなかった。
【新共同訳】
 三勇士の中で最も重んじられ、彼らの長でもあったが、武勲は三勇士に及ばなかった。


●歴代誌第一 12:2
【新改訳】
 弓を持った者、石投げ、弓矢に、右手も左手も使う者で、サウルの同族、ベニヤミンの出であった。
【新共同訳】
 彼らは弓の名手で、右手でも左手でも石を投げ、矢を射ることができた。また、サウルと同族で、ベニヤミン出身であった。

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多くの不自然な表現

 箴言は、文脈の流れを追い難い書だとは思うが、それでも、自然な表現になるように気をつけて翻訳して欲しいと願うものである。
 以下、まとめて掲載する。

【新改訳】 箴言 14:9
 罪過のためのいけにえは愚か者をあざけり、正しい者の間には恩恵がある。
【新共同訳】 箴言 14:9
 無知な者は不遜で互いをなじる。正しい人は互いに受け入れる。

【新改訳】 箴言 16:7
 主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。
【新共同訳】 箴言 16:7
 主に喜ばれる道を歩む人を主は敵と和解させてくださる。

【新改訳】 箴言 20:27
 人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。
【新共同訳】 箴言 20:27
 主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。

【新改訳】 箴言 21:11
 あざける者が罰を受けるとき、わきまえのない者が知恵を得る。
 知恵のある者が学ぶとき、その人は知識を得る。
【新共同訳】  21:11
 不遜な者を罰すれば、浅はかな者は知恵を得る。
 知恵ある人を目覚めさせるなら彼は知識を得る。

【新改訳】 箴言 21:28
 まやかしの証人は滅びる。しかし、よく聞く者はいつまでも語る。
【新共同訳】 箴言 21:28
 欺いて語る証人は滅びる。聞き従う人の言葉はとこしえに堪える。

【新改訳】 箴言 28:17
 流血の罪に苦しむ者は、墓まで逃げるが、だれも彼をつかまえない。
【新共同訳】 箴言 28:17
 流血の罪の重荷を負う者は、逃れて墓穴に至る。だれも彼を援助してはならない。

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御使いに敬語を使うべきだろうか?

 御使いを礼拝した者に対して、御使いは、「ただ神だけを礼拝せよ」と語っている。それから、聖書のほかの箇所には、「私たちは御使いをも裁く者である」と書かれていたと思う。それらのことを背景にして、御使いに敬語を使うべきか考えてみて、やっぱり使うべきではないと思うのだ。

【新改訳】 創世記 22:11
 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム。」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

【新共同訳】
 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、

他のところで、御使いに対して同様の表現をしているところがあるかと思えば、そうでないところもある。全体的には、御使いに対して敬語を使っているのは、ごく一部のようである。こんなことは、聖書の翻訳を分担した訳者間で、相互チェックをすればすぐに分かることだと思う。そのようなことが不完全なまま、出版してしまったのだろうか。そして、今に至っても、それに気づいていないのだろうか。

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