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2011/08/20

苦難に勝る苦難

第十六章
 サンチョ・パンサは、馬方たちから散々に打ちのめされ、ぼろぼろになったドン・キホーテを自分のロバに載せ、これまたぼろぼろのロシナンテを引っぱり、自分も足を散々引きずらせて、やっとのことで一軒の宿屋にたどり着いた。そこの宿屋は大そう貧しかったが、主人を始め、みな良い人々だったので、彼らを哀れに思い、できる限りの介抱をしてくれた。サンチョは、自分たちが馬方たちに打ちのめされたことを隠して、崖から転がり落ちたことにしていた。しかし彼が自分たちの素性を明かすと、宿の女中は、「遍歴の騎士さんって、いったい何なの?」と問い返したので、サンチョが答えた。「ねえさん、よく覚えときなよ。遍歴の騎士というのは、今しがた棒でぶちのめされたかと思うと、あっという間に、今度は皇帝になるもののことよ。つまり、今日は世界でいちばん不幸な、いちばんみじめな人間でも、明日には従士にくれてやる王冠の二つや三つは手にしていなさる方というわけさ」と。
 信仰者もそうである。彼が純粋な信仰を持っていればいるほど、往々にして、人生が彼にとって向かい風となることがある。もし彼がそれに負けて、実生活に妥協してしまうなら、彼は世界でいちばん不幸な、いちばんみじめな人間となるであろう。しかし、もし彼が現実に踏みとどまり、その逆風に信仰を持って挑むなら、彼はその人生において、多くの宝を手に入れることができる。彼は、一国の王にも勝る富を自分の人生で掘り当て、世界一の幸せ者となるであろう。
 「それじゃ、あんたはそんな立派な主人に仕えていなさるのに」と宿の女将が言った、「見たところ伯爵領のひとつも持っていそうにないのは、どうしたわけなのかえ?」。これに対して、「そりゃまだ早すぎるんだよ」とサンチョが答えた。「なにしろ、わしらが冒険を探しに出てから、まだほんのひと月にしかならねえし、おまけに今日までのところ、本物の冒険には一度も出くわしちゃいねえからね。捜す物と見つかる物がくいちがうてなあ、よくあることさ。だけんど正直なところ、わしのご主人、ドン・キホーテ様の傷が、というか落下の打ち身がなおって、わしも打ち身から回復して五体満足でいたら、その時にはわしは、たとえスペインの貴族のいちばん上の位と引き換えでも、自分のでかい望みを捨てるつもりはないね」と。いったいサンチョはどうしてしまったのだろう。何が彼に、これほどのことを語らせたのだろうか。
 自分が何を持っているかは、その人の境遇が決めるのでも、周りの人の評価が決めるのでもない。それは、その人自身が決めるのである。たとえ、あの女将が言ったように、今はそれが見えなくても、それをすでにサンチョは持っていたのである。それはどこから来たのか。無論、ドン・キホーテからではない。彼もそのようなものは、持っていなかったからである。しからば、それはどこから来たのか。それは、星輝く天上からである。「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです」(ヤコブ1:17)と聖書も言っている。私たちは、ただ天からのみそのような光り輝く望みを与えられるのである。
 いずれにしても、彼らが泊まった旅籠は、例によってドン・キホーテには、名高い城に見えたのであった。そして、その城の姫君が、彼の凛々しさに一目惚れして、今夜、両親の目をぬすんで彼のところに忍んで来るという妄想に取り付かれたドン・キホーテは、折も折、同じ部屋に泊まっていた馬方のところに忍んできた宿の女中を姫君と間違えて、彼女に言い寄り、これから先は、あえて書くまでもないことだろうが、またしても、大騒動に巻き込まれ、先の苦難にも勝る苦難を受けることになったのであった。

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