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2011/08/12

一なる神について

 「一なる神」とは、どういう意味であろうか。それは、「神は、すべてのすべて」どいう意味である。つまり、この世界のすべては、神の内にあり、神に属しているということである。しかし被造物同士は、互いに他には属していないという意味で、それらはすべて一なるものではない。そればかりか、被造物は、自分が神に属していることすら知らないのである。そのようないわば失われている魂に対して、エックハルトによれば、神から一つの言葉が語られた。すなわち、「一なる神」と。孤立していた魂に、彼が本来神に属するものであることが告げ知らされたのである。しかし、告げ知らされたことによって、彼が神と一なるものになるというのではない。もちろん彼は、神に創造された当初から、すでに神の内にあったのであり、そういう意味では、いまも変わらずに神の内にあるのである。しかし、それにも関わらず、彼は神の元から離れ出ているのである。どういうことかというと、それは、「働き」という面においてである。というのも、エックハルトの他の説教によれば、「神は魂を、神より流れ出て、神の内にとどまりつづける神のわざにかたどって創造された」のだからである。つまり、彼が神から造られた最初の働きをもはややめてしまったため、彼はいまや「働き」という面で、神と等しくはなくなってしまったのであり、神と等しくないというそのことゆえに、彼はもはや神と一つにはなれないのである。一般にこの世界においては、「一つになる」ためには、同じ場所にあることがもっとも大きな必要条件と一般に考えられているようである。しかし、神と人との関係においては、同じ場所にあるという条件は、すでに満たされている。なぜかというと、人を含めて万物は、すでに神の内で生き、活動しているのだからである。そこで、神と人との関係においては、むしろ「同じ働きをする」ということこそが、「一つになる」ための必須条件なのである。そして、彼はいまや神と同じ働きをしていないので、神と一つではないのである。
 それでは、彼が神と一つになるために、何をしたら良いのだろうか。そのために、やはりエックハルトによれば、さらに一つの言葉が神から魂に向けて語られた。すなわち、「友よ、もっと上に登り、もっと上に進みなさい」と。彼は語る、「天は、すべての事物を一なるものの内へもたらすことを目ざして遂行している」と。そして、「魂は一なるものを所有していないため、それゆえに、神の内で一切が一になるまでは、魂はけっして安らぎに到ることはない。神は一である。このことが魂にとっての浄福であり、魂の誇りであり、魂の安らぎである」と。しかし一方で魂は、この世界にあっては、その完全性に決して到達しないのである。というのも、この世界にあっては、私たちはすべての事物を自己の外から、ここと今とで狙いをつけて取り入れるのであり、しかも私たちの認識の対象は、時間の中で絶えず変化するものだからである。しかしそれにも関わらず、エックハルトによれば、「認識つまり知性は一切をそぎ取り、ここをも今をも認識することのないものを受けとるのである。このような受容力において知性は天使の本性と触れあうところがある」のである。しかしそのためには、知性はこの世界の諸々の認識を越えて、天高く飛翔しなければならない。「友よ、もっと上に登り、もっと上に進みなさい」。上に上るのは、この世界に対する私たちの認識が純粋で透明なものとなり、私たちの業が神の業に限りなく近づくためである。たとえそこが、私たちの認識力の遠く及ばない境地であったとしても、神の愛による恩寵の助けにより、私たちにそれが可能なのである。
 エックハルトは語る、「神はそのすべてのわざの内で、一切の事物からけっして目を離すことはない。この一切の事物とは魂のことである。魂より下位のすべての事物の内で、最も高貴なるもの、最も純粋なるもの、最も高きもの、それを神は同時に魂の内へと注ぎ込むのである。神はすべてでありそして一である」と。

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