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2011/08/01

不運な冒険

第十五章
 グリソストモを葬る一行と別れたドン・キホーテは、森のなかに姿を消したマルセーラを探し出し、自分が騎士としてできる限りの奉仕をすることを申し出ようと心に決め、従士と一緒に森の中へと入って行った。ところが、あちこちさまよい歩いた末、ついにマルセーラを見つけることができなかった。そして、とある小川のほとりでひと休みしたときに、つなぎ忘れたロシナンテが、そこに来ていた馬方の一行の雌馬たちにちょっかいを出して彼らから棍棒で打ちすえられたことがきっかけで喧嘩となり、従士もろとも足腰の立たない状態になるまで棍棒の雨をくらうことになったのであった。
 二人と一匹は、しばらく散々な状態でぶったおれていたが、まず従士のサンチョが先に正気に返り、蚊の鳴くような情けない声で主人に呼びかけ、これまた蚊の鳴くような応答を確認すると、今回の一件に関しての後悔を語り始めた。「旦那様、おいらはおとなしくて穏やかな性質の、争いを好まねえ人間だし、それに家には養っていかににゃならねえ女房と子供もいるから、今後どんな侮辱だって平気で受け流すことができますだ」とサンチョは言い、今後自分を辱めようとする連中をみんな許すつもりだと言った。すると、これを聞いたドン・キホーテが言った、「ああ、情けない男よ。お前はまた、なんという思い違いをしておるのじゃ。よいか、これまでわれわれに逆らって吹いてばかりいた運命の風が、これからは向きを変えて追い風になり、われわれの希望の船を、安全になんのつつがもなく、わしがお前に約束したどこかの島の港に導いていくことにもなろうというのに。そして、わしがその島を攻めとって、お前をそこの領主にしてやろうというのに、お前がそんな心構えでは、いったいどうなると思うのじゃ」と。
 夢と理想、その追求には、いつの時代にも犠牲が伴う。求めているものが大きいほど、そこに要求される犠牲もまた大きいのである。だから、サンチョのような、良く言えば堅実、悪く言えば臆病な者は、決して大きな夢の実現を見ることがない。例え彼がそれを手に入れたとしても、彼にはそれを維持、統治していく能力がないのである。それに対してドン・キホーテは、自分の統治能力に匹敵するものを求める。それゆえ、大きな夢が彼の上に現実化するのである。しかしその始まりにおいては、それはあくまで夢に過ぎない。夢の実現を見るためには、まず夢を見なければならない。そして、夢を見るためには、人はあえて不確実性の中に自分の身を置かねばならないのである。
 信仰者とは、不確実性の中にあえて自己を放置する者である。その不確実性とは、かつて起こったと言われることを自分が見たかのように主張すること。そして、これから起こると言われることをすでに起こったかのように受け取ることである。
 結局、サンチョはドン・キホーテを驢馬の上に押し上げ、ロシナンテを綱でつなぐと、驢馬の端綱をとって、街道のあるとおもわれるほうに向かって歩きだした。それから後は運命が事を良い方へと導いてくれ、ほんの一レグアも歩かないうちに、二人は目指す街道に出ることができた。そして、その街道に見えた一軒の旅籠が、ドン・キホーテにとってはまことに喜ばしいことに、しかしサンチョにとってはあきれたことに、城ということになったのである。

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