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2011/05/15

救済が悲劇と取り違えられている

 いたるところでそう感じるのだが、新改訳聖書の訳には、どこか冷たい表現が漂っているように感じる。それが何かを考えて見るのだが、どうも釈然としない。強いて言えば、自分と神の関係が、離れているというか完全に分離して取り扱われているように思えるのだ。例えば、詩編39編11節の表現は、新改訳では、神の行為という観点から訳されており、神の裁きが強調され、冷酷な表現となる。しかし対応する新共同訳の12節では、できる限り人の立場からこれを表現しており、「詩編」という作品にふさわしい、感情のこもった詩的な表現となっており、読むものに共感と慰めを与える。また、新改訳の12節では、神に対して、「私の涙に、黙っていないでください」という命令調を用いているが、対応する新共同訳の13節においては、「わたしの涙に沈黙しないでください」となっており、ソフトな感触がある。最後に新改訳の13節の意味を考えるてみると、結局のところ「私」は、神を離れていなくなってしまうことになり、悲劇的な結末を表現していることになる。しかし、対応する新共同訳の14節は、「私が失われる前に、立ち直らせてください」という意味であり、私は救われることを想定しているのである。
 この違いはどこからくるのだろうか。それは、新改訳が只々、機械的に一語一語の意味を保存しながら言語変換しているのに対して、新共同訳は、文脈を考え、信仰的な意味を考慮しながら訳しているからであり、聖書翻訳には、この姿勢が求められるのではないだろうか。

詩編 第39編

【新改訳】
39:11 あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、
その人の望むものを、
しみが食うように、なくしてしまわれます。
まことに、人はみな、むなしいものです。セラ
39:12 私の祈りを聞いてください。主よ。
私の叫びを耳に入れてください。
私の涙に、黙っていないでください。
私はあなたとともにいる旅人で、
私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。
39:13 私を見つめないでください。
私が去って、いなくなる前に、
私がほがらかになれるように。

【新共同訳】
39:12 あなたに罪を責められ、懲らしめられて
人の欲望など虫けらのようについえます。
ああ、人は皆、空しい。 セラ
39:13 主よ、わたしの祈りを聞き
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
わたしの涙に沈黙していないでください。
わたしは御もとに身を寄せる者
先祖と同じ宿り人。
39:14 あなたの目をわたしからそらせ
立ち直らせてください
わたしが去り、失われる前に。

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