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2011/04/18

神の言について

 この説教においてエックハルトは、使徒書簡から2つの言葉を引用する。1つ目は「御言葉を宣べ伝えなさい」であるが、これは彼によれば、「御言葉を語り出しなさい」という意味であり、そのために、「それがあなたの内にあることを覚りなさい」ということであるという。ところで、私たちの内にある御言葉とは何であろうか。それは、まさに生ける御言葉、主イエス、すなわち神に他ならない。そこで、彼の語っていることの意味は、「自分の内に神を見い出せ」ということである。2つ目の御言葉は、「どんな仕事にも励みなさい」であり、これは、「すべての事物の内で励みなさい」という意味であり、そのために、「すべての事物の内で神をつかめ」ということなのである。そのように私たちは、自分の内と外に共に神を見い出すことが必要なのである。
 「神はすべての事物の内にある」とエックハルトは語る。そして、「神が事物の内にあればあるほど、ますます神は事物の外にあることになる」とまた彼は言う。というのも、ある一つの事物から見ると、その他のすべての事物は、みなその外にあることになり、従ってそれらすべての事物の内に神があるということは、すなわち神は、その一つの事物から見ると、その外にこそ多くあるということになるからである。そしてこれは、上記の「自分の内と外に共に神を見い出す」ということと関係がある。そこで、もし私たちと神およびこの世界の関係がそのようであるならば、私たちは、これまでの既成概念を根本から変革せざるを得なくなる。つまり私たちは、全宇宙を無から創造された神ご自身に象って創造されたのであり、それゆえ、その宇宙創造の仕組みもまた、私たちの内に存在するということなのである。そしてそれは、「見えるものは見えないものから出てきた」と聖書に書かれていることにも関係している。つまり、私の周りにあるすべてのものは、古から神の内に存在していたのであり、その見えないものからすべての見えるものが出てきたのであるが、それらのものはまた、神の似姿に創造された私の内にも永遠の昔からあったということなのである。そしてそれのことは、エックハルトによれば、神はこの私の魂の最内奥において、全宇宙を創造したということであり、いまもなお創造し続けているということなのである。それは、考えようによっては、「すべては夢である」と言えるようなことでもあるのだが、また一方で、すべてはそのように現実であって、それがこの世界の根本的構造であるともまた言えるのである。つまり、この世界のすべてのものは、私たちの外にあるのと同時に、私たちの内にもある。私たちがそれを自覚しようがしまいがである。なぜなら、もしすべてのものが、ただ私たちの魂の外にだけあり、内にはなにも存在しなかったなら、どのようにして私たちはそれらを把握し、認識できようか。外にあるものに対応するなにものかが自己の内にあるがゆえに、私たちはそれを認識し、理解できるのである。
 もしそうなら、この世界を生きる上で私たちは、どちらのものにより多く依存すべきだろうか。つまり、心の内にあるものにか、それとも外界に存在するものにかということである。エックハルトは語る、「人がしっかりと眠りについていて、百年間も眠っているならば、その人は被造物についても時間についても、像についても知ることはない。そしてそのときに、あなたの内で神が働くものをあなたは知ることができるのである」と。また彼はこうも語る、「すべての事物は、それがこの世界にあるよりも、魂たる知性界にある方がはかり知れないほど高貴である」、また「魂の本性および本性的完全さとは、魂がみずからの内でひとつの知性的世界に、つまり神が一切の事物の原像を造りいれたあの知性的世界になることである」と。
 まさにそのためにこそ神の言はあるのである。聖書は、私たちがこの世界を生きるために具体的な方法を提供してくれるし、生ける神の言である主イエスは、聖霊により私たちの心の中に住み、私たちがこの世界を正しく認識し、そこを生きるときに神の御心を行うことを可能として下さるのである。

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