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2011/03/10

一なる神について

 「神は、一なるものである」とエックハルトは言う。神は一であるゆえに、どんなものとも共通点を持たない。すべての事物とも、魂とも、神は共通点を持つことがなく、単独で充足しているものである。そのような神に、私たちはどのようにして近づくことが出来るのだろうか。
 しかしここに、神から魂に向けて一つの言葉が発せられた。「友よ、もっと上に登り、もっと上に進みなさい」と。「上に登る」とは、この世界の事物を超え出ること、それらの事物に対して超然としていることに他ならない。つまり私たちは、すべての事物から離れ、自分の心を純粋に保つことが必要なのである。エックハルトは語る、「心の純粋さとはところで何であろう。すべての身体的事物から分かれて離れ、自分自身の内に集中し堅く身を閉ざすこと、そののちこの純粋さから神の内へとみずからを投げ入れ、そこで神とひとつになること、これが心の純粋さということである」と。神への接近は、非常に難しい。そもそも、神へ段々と近づいて行くというようなことは起こり得ない。神への接近が有り得るとするならば、それは、ある時点における突然の飛躍により達成される他はないのである。
 それでは、この飛翔能力は、魂に備わっているものなのだろうか。エックハルトによれば、「身体を超えている魂それ自身は、きわめて純粋で繊細であるので、あらわな純粋な神性の他はいかなるものも受け取ることはない。魂は、何も付け加えられていない、また何も考え足されていない、それ自身の内で純化されている、神性をつかむのである」と。そこで、「もっと上に登り、もっと上に進む」ことが重要となる。どこまで登りゆくことが必要なのだろうか。「神が意志の内へ入り込めるようになるほどに高く」とエックハルトは言う。つまり、自分の意志が完全に神の意志となるまで、あなたが神の御心を完全に自分の意志とするまで登りゆく必要があるのである。そして、その漸進的な上昇のさなかに、あるとき突然に神からの恩寵がやってくる。「もし人が独り子となれるほどに自分自身を超え出るならば、独り子に固有なものが、その人に固有なものとなるであろう。神が働き教えるもの、それを神はすべて神の独り子の内で働き教える。神がなすわざのすべては、わたしたちが独り子となるためのものなのである。わたしたちが独り子となっているのを神が見るや、神は激しくわたしたちへと迫り来る。神がわたしたちに神の神性のすべての深淵と、神の有と本性との豊かさとを顕わそうとして、あたかも神の神的有が神から砕けて、みずから無に帰そうとするかのように、急ぎ迫り来るのである。つまり、神性および神の有と本性とが神に固有のものであるのと同じようにわたしたちにも固有なものになるということが神には急を要することなのである。そこには神の喜びと歓喜とがあふれんばかりにあるからである。このような人は、神の認識と神の愛の内に立つ人であり、神が神自身であるものと何ら異ならないものとなるのである」とエックハルトが他の説教の中で語っているのである。

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