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2011/02/04

グリソストモの歌

第十四章
 一行が現地に近づくと、ちょうど前方の小高い山と山のはざまを、二十人ほどの羊飼いたちが降りてくるのが見えた。それは、まさにあのグリソストモの亡骸を運ぶ人たちであり、彼らが目指す麓こそ、故人が自分を埋めてくれと言い残した場所であった。
 その場で顔を合わせた者たちは、互いにねんごろな挨拶をかわし、皆一様に輿の中をのぞき込んでいた。その中には、グリソストモが生前に悲恋の歌を書き記したたくさんの紙が添えられていた。ドン・キホーテたちと共にやってきた旅人の一人ビバルドが、それらの数枚を手に取りながら、これらの貴重な遺稿を一緒に焼いてしまわないよう嘆願すると、故グリソストモの親友アンブロシオは、故人の遺言だと言って丁重に断りながらも、彼が手に取ったものについては、それを遺品として持ち帰ることを許し、その前にそれを一同の前で読み上げるよう指示した。そこで、ビバルドはそれを皆の前で朗読した。そこには、果たしてグリソストモの悲恋の思いが切々と歌われていた。
 神は、良い者の上にも悪い者の上にも雨を注ぎ、太陽を照り輝かせて下さる。その点で、神は平等な方である。しかし、また一方で、神はある人に、特別な美貌を与えられる。ちょうどあの故グリソストモが死ぬほど恋慕したマルセーラのように。そしてまた、他の人には、特別な才能を、また巧みさやその他の能力を与えられる。その点では、神は不公平な方と言えるかもしれない。そういう意味では、気候や環境等も決して平等とは言えないように見える。そこで全体的には、神は気ままで不確かなお方のように見えてくる。しかしそれは、人の立場から見た場合である。
 神は、この世界のすべてを目的を持って造られた。そして、その目的とは、神がすべてにおいてすべてとなられることである。しかし、この目的の意味は、人には理解できない。その達成方法も分からない。それは、聖霊によってしか理解できないものなのである。それゆえ、マルセーラは、自分の美貌の用い方が分からず、それを持て余して、山の中に隠らざるを得なかったし、グリソストモは、自分の才能を無きものにして、マルセーラの後を追った。そのように人には、自分に与えられた特別な賜物の用い方が分からないのである。それは、聖霊によってしか理解できない。それを用いるには、聖霊の助けが必要なのである。
 聖霊を受けた人は、もはや神に平等を要求しない。そして、物事の本質を理解する。それは、人一般の、社会一般の法則などではない。それは、神との一対一の関係であり、人と人との一対一の関係である。そこには、平等という視点はなく、常に特殊である。私たち一人一人は、神から特別に愛されている者である。それゆえに、特別な愛で愛し合うのである。

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