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2011/01/15

KJV翻訳の意図

 どうも比較的最近の翻訳聖書は、あまり良くないらしい。一説によると、アレキサンドリア写本の底本というものから訳されており、これにはイエス・キリストの神性に関わる多くの言葉が削除されているという。福音諸派で多用されている新改訳聖書もロックマン財団の資金援助を受けて、この写本を使い、その指導の下に翻訳されたらしい。それゆえ、後になってロックマン財団が新改訳聖書の版権を主張し、日本から多額の和解金を受け取ったという。
 詮索は、これくらいにしておくが、そのような中、キング・ジェームス訳は、信頼できる原典を用い、今日に至ってもその価値にゆるぎないものがあると言われている。そこで、このキング・ジェームス訳を詳細に読んでみたくなった。そして、どうせなら、ただ読むだけでなく、日本語に訳してみたらどんなものだろうと思った。たしかに、私のような知識のない者が訳して、神聖なる神の言葉に、何か付け加えたり、削除したりしてしまうことになるのは危険でもあるが、それをもって新しい聖書を出版しようということでもない。聖書を良く理解するために、自分の国の言葉で表現してみようという、つまり研究という位置づけであるなら、それもあるいは許されるのではないかと考えた。
 そこで、この翻訳を読まれ、間違えに気づかれた方からは、速やかにコメントをいただき、間違えを正していただければ、非常にありがたいし、そのことをきっかけに、自分も少しは生長できるのではないかと思う次第である。

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コメント

自由王子様
コメントありがとうございました。
私個人は、口語訳の訳し方は、三位一体を良く表わしていると思っています。すなわちキリストの神性と共に人性が同じくらいに重要に取り扱われていると思うからです。私たちは、この世界に生きており、この世界で人として神の御心を行うのであり、キリストもそうであったと信じます。この点に関して、自由王子様個人の意見をお聞きしたく思います。書評の羅列だけではなくて。このブログは、そのような性格のものだからです。

投稿: ブログの作者 | 2011/06/22 20:14

先の「聖書の和訳と文体論」の内容の紹介を少し。
新共同訳はまだ出されていないので、口語訳と新改訳について。
口語訳については、RSVからの翻訳であると言われるほど、アメリカのRSVの近代的、人本的、非福音的なリベラリズムの臭気を多分に持っていると批判されています。
新改訳については、キリストの神格が原典とおりに、何のけれんみもなく正しく訳し出されていることろで、近世リベラリズムに半ば毒されていると口語訳との差異は大きいとされています。しかし、個別に問題のある箇所の指摘の他に特に福音書の中のイエスの話し言葉の中にアメリカ人式日本語の散見されるとして、この新改訳にはかなり外国宣教師群の発言力があったものと見える、と批判されています。

投稿: 自由王子 | 2011/06/22 17:54

「聖書の和訳と文体論」(藤原藤男著、キリスト新聞社)という本があります。昭和49年出版の本なので、古い本ですが、著者の信念のようなものが伝わってくる本です。文体というと言い回しとか、文章がなめらかだとかということと受け止めるかもしれないが、とんでもない誤解で、著者は内からあふれる生きた日本語、肺腑に迫る新しい生きた文体が欲しいのだと言っています。だから、聖書翻訳の文体論が福音の追求にまでいたらないなら、それは世上一般の文体論で、自分の本はそれとは全く関係がないと言い切っています。

投稿: 自由王子 | 2011/06/22 17:41

自由王子様

コメントありがとうございます。
私は、どうも軽率に書いてしまったようで反省しています。ただ、インターネットで調べれば調べるほど、わけが分からなくなるようで、どうも聖書の原典を選択するというのは、歴史学そのもののようでもあり、並大抵なことではないと思いました。
私が軽々しく書いてしまった背景には、次のような記事があります。どう思われますか。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/version_history.htm
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%20seishohonnyaku.htm

投稿: ブログの著者 | 2011/05/17 21:40

コメントに対するお返事ありがとうございました。穏やかな対応で少しほっとしました。
私は不勉強でアレキサンドリア写本の底本については、よくわかりません。
ところで、近年の聖書翻訳の底本は、旧約聖書であれば、BHS(ビブリカ・ヘブライカ)、新約聖書であれば、ネストレ・アーラントで、新共同訳も新改訳も底本はほぼ同じです(版の違いは少しあるかも)。
ですから、アレキサンドリア写本の底本から翻訳されている聖書が最近あるのかは、よくわかりません。日本語の聖書以外ということでしょうか?

投稿: 自由王子 | 2011/05/17 16:27

ご指摘ありがとうございます。
すみません。間違えました。
「アレキサンドリア写本」ではなく、「アレキサンドリア写本の底本」でした。どうも失礼いたしました。

投稿: ブログの著者 | 2011/05/14 16:17

ウィキペディアによると、アレキサンドリア写本とは「アレクサンドリア写本(アレクサンドリアしゃほん、大英図書館蔵)は、旧約聖書のギリシア語訳の七十人訳聖書の多くの巻と新約聖書を含む5世紀のギリシア語聖書写本である。」とあるように、旧約聖書についても、ヘブル語原典ではなくて、その翻訳のギリシア語です。新改訳聖書の旧約聖書はヘブル語からの翻訳です。ウィキペディアにも「原典復元作業である本文批評により、今日、旧約聖書の底本として多く用いられるのはドイツ聖書協会発行のビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシアであり、日本語のプロテスタントの翻訳である新改訳聖書はこれを用いている。」とあります。
 多分今時翻訳される聖書で、例えば旧約聖書を70人訳からの重訳で済ませている訳はないのではと思います。

投稿: | 2011/05/14 11:38

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