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2011/01/18

第1章

1.その始め、神が天と地を創造されたとき。
2.地がまだ形もなく、空しく、底知れぬ水の表面を暗闇が覆っていたとき。神の霊が水の上に臨まれた。
3.神は語り出された、「光よ、そこにあれ!」。すると、そこに光があった。
4.神は、その光を見て、良しとされた。そこで神は、光を闇から分けられた。
5.神は、光を「昼」と名付け、それから闇を「夜」と名付けられた。その結果、そこに「夕」と「朝」も生じたのであり、これが1日なのである。
6.また神は言われた、「水の満ちているその直中に大空ができ、水を二分せよ」。
7.神は大空を造り、その上下に水のある場所を分け、そのようになった。
8.神は、その大空を「天」と名付けられた。夕となり、朝となった。第2日目である。
9.また神は言われた、「天の下にある水は、それぞれまとまった場所に集まり、乾いたところが現れよ!」。そのようになった。
10.神は、乾いたところを「地」と名づけ、水の集まったところは、それぞれ「海」と名づけられた。神はそれを見て、良しとされた。
11.神はさらに言われた、「地に、牧草や種をつける草、種を持つ実を生らせる木を何種類も生じさせよう」。そのようになった。
12.すると地は、種をつける草や種を持つ実を生らせる木を種類にしたがって生じた。神はそれを見て、良しとされた。
13.夕となり、朝となった。第3日目である。
14.また神は言われた、「天の大空にそれぞれ光るものがあり、昼を夜から区別し、季節や日々や年々の徴とならせよう」。
15.「また、地上を照らすために、それらを天の大空の光としよう」。そのようになった。
16.神は、2つの大きな光るものを造り、大きい方に昼を治めさせ、小さい方に夜を治めさせ、また星もたくさん造られた。
17.神は、それらを天の大空に置き、地を照らさせると共に、
18.昼と夜を治めさせ、光を闇から分けられた。神はそれを見て、良しとされた。
19.そのようにして、「夕」となり、「朝」となった。第4日目である。
20.さらに神は言われた、「海にそれぞれ、命を持つたくさんの生き物を生じさせよう。また鳥類は、天の空中を飛ぶように」。
21.神は、大きな鯨たちや海から盛んに生み出されるすべての生き物たちや翼のある鳥たちを種類毎に造られた。神はそれらを見て、良しとされた。
22.神は、彼らを祝福して言われた、「生み、増え、水や海を満たせ。鳥も地に増えよ」。
23.夕となり、朝となった。第5日目である。
24.神はまた言われた、「地に、種類毎に生き物、家畜、這うもの、地の獣を種類毎に生じさせよう」。するとそのようになった。
25.神は、地の獣を種類毎に造り、家畜を種類毎に、また這うものや地の獣を種類毎に造られた。神はそれらを見て、良しとされた。
26.また神は言われた、「私たちの姿に、私たちに似せて人を造り、彼らに海の魚、空中の鳥、家畜、その他の地を歩くものすべて、また地を這うものすべてを支配させよう。
27.そこで神は、人をご自身の姿、すなわち神の姿にかたどり、男と女に創造された。
28.神は彼らを祝福し、彼らに言われた、「生み、増え、再び地を満たし、征服せよ。海の魚、空の鳥、地にうごめくすべての生き物を支配せよ。
29.また神は言われた、「見よ、あなた方に、地の面で実を結ぶすべての草、種を持つ実を実らせるすべての木を与える。あなた方には、それが食べ物となる。
30.また地の獣、空の鳥、地を這うもの、命を持つ彼らには、すべての緑の草を食物として与える」。そのようになった。
31.神は、ご自身が造られたすべてのものを見たが、見よ、それはとても良かった。夕となり、朝となった。第6日目である。

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KJVを読んでみて

 まず気がついたこととしては、創世記1章において、「waters」と水が複数形で記されていることだ。これは、日本語訳には現れてこないことだ。それから、細かく見て行くと、この章は、各節の先頭に、ほとんど必ずと言えるほど「And」が置かれて、それによって各節がつながれているということだ。しかし、どうもこれらの「And」が全部同じ意味だとは思えない。「そして」、「それから」、「したがって」、「だから」、「それと」、等々、日本語にはいろいろな訳し方ができるのではないか、そして、そうしなければならないのではないかと思えるのだ。あと、「Let there be a firmament」とか「Let the waters bring forth abundantly the moving creature」の「Let」という言葉も気になる。何か意図的なことを感じるのだ。それから、神さまが造られた動物や人間たちに、「地を満たせ」と言っている行に、「replenish」という言葉が使われる。これは、「再び満たす」と訳せる。
 それから、それから、そもそも、この創世記1章の意味は、まるで分からない。「初めに、神が天と地を創造した」と新改訳聖書に言われており、2節には、再び「地は形がなく、何もなかった」と言われ、その同じ節で再び、「やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」と言われ、確かに何かが存在することが言われている。この1節、2節だけでも、頭をかきむしりたくなるほどの混乱である。この「動いていた」と訳されている動詞は、KJVでは、「moved」つまり「動いた」となっている。これを「動いていた」と訳すこともできるかも知れないが、私はどうしても「動いた」と訳したくなってしまう。すると、これまで混沌として、静止状態だった天地の始まりに、急に生気が宿ったようになるのではないか、そしてこれが求められているものなのではないか。そんな風に思えたりする。
 まあ、とにかく、KJVを読むことは、そして、それを日本語にして見ることは、これまででもっともスリリングなことではないかと思ったのである。

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