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2011/01/07

フィエラブラスの霊薬

第十章
 先の壮絶な戦いで、例のビスカヤ人はドン・キホーテの太刀の一撃により瀕死の痛手を負ったが、ドン・キホーテも大切な兜と甲冑の左肩をひどく壊され、ついでに刀の刃で耳の半分を持って行かれた。その血がドクドクと流れているのを見てサンチョは、傷の手当てを勧めた。するとドン・キホーテは、もし自分がフィエラブラスの霊薬を調合して持ってきていさえすれば、難なく完治してしまうのだがと言った。それを聞いたサンチョは、そんなすごい薬を作ることができるのなら、主人が遍歴の騎士の従者への報酬にと自分に約束してくれている島の領主になるよりも、その薬の作り方を教えてもらいさえすれば、自分は一躍大金持ちになることができ、その方がずっと望ましいと言った。するとドン・キホーテが言った、「黙らっしゃい、サンチョ。わしはお前に、それよりもはるかに重要な秘伝を授け、もっと大きな恩恵を施してやりたいと思っているのだから」。ドン・キホーテがサンチョに与えたいと思っていた幸福がどんなものか、それがどのように栄光に富んだものであり、高さ・広さ・深さにおいて優ったものであるか、サンチョには、想像することができなかったのである。
 この時のサンチョとドン・キホーテの関係は、ちょうど人と神さまの関係のようだ。神さまは、私たちに大きな祝福を与えたいと願っていらっしゃる。しかし人間は、そんなものよりも何か手近なもので手っ取り早く幸福になりたいと思うのである。それは、信仰についても言える。聖書の意味は、とても深く、そこには本当に驚くべきことが書かれている。それは、人の人生をまったく造り変え、彼の価値観を根底から覆し、それまで彼が大切にしていたものを糞土のように思うほどにすばらしい精神的な宝なのであり、そしてまたそれは、単に精神的なものだけではなく、実際にこの世界を生き、勝利を勝ち取るための知恵でもあるのだ。しかし人は、そのような価値ある聖書を自分勝手に解釈し、何かこじつけてつじつま合わせをすることができれば、それでひとかどの信仰理解であるかのように思うのである。
 いずれにしても、ドン・キホーテとサンチョは、傾きかけてきた日を眺めながら、道端で粗末な食事を早々に切り上げ、その泊まるべき宿を求めて、次なる村へ急いだのであった。しかし、そこへ辿り着く前にとっぷりと日が暮れてしまい、彼ら二人はその日、森の中で夜を明かすことになったのである。サンチョは、このことがすこぶる不満であったが、ドン・キホーテの方は、野天で眠ることに大いに満足していた。それというのも、野宿は自分を鍛えるためにうってつけの試練であり、こうした試練を乗りこえるたびに、自分が騎士道の修業をそれだけ積んだことになると考えていたからである。

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