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2010/12/25

風車への突進

第八章
 ドン・キホーテとサンチョが進んで行くと、遠くに30ほどの粉挽きの風車が立ち並んでいるのが見え始めた。しかしドン・キホーテの目にはその一体一体が恐ろしい巨人に見えた。それらが何本もの長い腕を振り回して、二人の行く手を阻もうとしているように見えたのである。ドン・キホーテは、これは新たな冒険の到来と信じ、それらの悪しき巨人たちの征伐に乗り出した。例により、思い姫ドロシネーアへの忠誠を誓い、その加護を願い求めながら、槍を低く構えると、サンチョが後ろから大声で止めるのも聞かずに、一番手近な巨人ならぬ風車めがけて突進して行った。そのとき、期せずして風が巻き起こり、ちょうど風車の羽が回転を始めたものだから、騎士と馬はもろともに、その回転翼によりすくい上げられ、後ろへ投げ捨てられてしまった。ドン・キホーテは、腰と背中を地面にしたたか打ちつけられ、馬は肩の関節がはずれそうになった。
 ときに信仰者の心には、このような狂騒が湧き起こることがある。神の助けにより、弱く愚かな自分の心が強められ、何でも可能なように思われ、目前に迫っている困難に、独力で立ち向かえるように思えることがある。それは、狂騒なのだろうか。否、信仰である。信仰とは、この世的に見れば、狂騒である、もし神が存在しないならば。しかし、神がおられるなら、それは、単なる狂騒ではない。どのようにして、それが分かるのか。それはただ一つ、それが実現することによってである。しかし、もし実現しなかったとしたら。今度こそそれは、狂騒なのだろうか。否、否、それでもそれは、信仰なのである。それゆえ、信仰とは、狂騒なのであり、信仰者は、それに命をかけるのである。
 その現場へ血相を変えて駆けつけ、自分を抱き起こしたサンチョにドン・キホーテは言った、「黙れ、友のサンチョよ。そもそも戦いというものは、他のいかなることにもまして、時の運に左右されがちなものじゃ。しかも拙者の考えるところでは、いや、それが真実に相違ないが、わしから書斎と書物を奪い去ったあの魔法使いの賢人フレストンめが、このたびは、わしから巨人退治の栄誉を奪いとろうとして、あの巨人どもを風車の姿に変えおったのだ。奴がわしに対して抱いている敵意からしたら、ごくあたりまえのことよ。しかし、奴がいかにあくどい魔術を使おうとも、最後の最後には、わしの正義の剣の前に屈することになろうて」。
 それが狂騒でなく、信仰であることの証明のもうひとつは、彼が最後までそれを捨てなかったことである。

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