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2010/12/17

騎士物語の価値

第六章
 ドン・キホーテは、まだ眠り続けていた。その間に、彼の姪と女中、司祭と床屋がドン・キホーテの書斎に入り込み、そこに後生大事にしまわれていた、実に百冊近い有害な書物を処分するための分別作業に取りかかった。そこにある書物を一網打尽にしなかったのは、もしやその中にもそれほど害のないものや、屈指の名作などがあるいは紛れ込んでいるかもしれないと思ったからである。ともあれ、彼らの手により、特に主人をひどい目に合わせた騎士物語への姪と女中の憎しみにより、ドン・キホーテの書斎にあった大半の書物は、あっけなく窓の外に放り出され、裏庭で火刑に処されることとなったのであった。
 騎士物語は、ドン・キホーテの頭を狂わせた。それはまず、誰が読んでも非常におもしろいので病みつきとなる。そこには、男なら誰しも憧れる広大なロマンがあるのである。それが絵空事であることを承知の上で読む者にとっては、それは大いなる娯楽であり、嗜みであり、一つの教養ともなるような有益なものであり得る。しかし、こともあろうにそれを本当の出来事として受け取る者には、それは麻薬となり、劇薬、毒物となり、読む者の頭を狂わせ、その行動を支配し、人生を180度変えてしまうことさえあるのである。
 しかし、だからと言って、それを危険なものとして世界から葬り去ってしまうべきなのだろうか。否、そうではない。もし、この世界が安全な物、害のないもの、インパクトのないものばかりだったとしたら、どこに人間の進歩があるだろうか。ゆりかごから墓場まで、一本の標準的なレールが敷かれ、人はその上を歩んでさえいれば、安全に墓場へ入れるのであり、それが一番幸福な人生なのだと信じられているとしたら。
 しかし、もしそういうことならば、なぜ人はロマンを抱くのだろうか。人が生まれてきたのは、死ぬためなどでは決してない。それは、冒険するためである。なぜか。冒険は、勝利の可能性に満ちているからである。「勝利」、このために人は生まれる。それゆえ、彼は苦難を堪え忍び、飢えや寒さ、孤独に耐えて、どこまでもロマンを追い求めて行く。これがドン・キホーテの心である。そして、それは我々信仰者の心でもある。なぜなら、我々の手にも、聖書という壮大な「騎士物語」が握られているのだから。

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帰宅

第五章
 さんざんに打ちのめされてしまったドン・キホーテは、身動きもできないまま、その場に倒れていた。その苦難のどん底で彼の頭に、また騎士物語のエピソードが浮かんできた。そして、その主人公にして苦難にあった遍歴の騎士が語った台詞の暗記している限りを、延々と語り連ねていた。
 そこへ通りかかったのは、彼の家の近くに住む農夫で、粉挽き場へ小麦を運んで行った帰りであった。彼が、そこに倒れている男に近寄り、介抱しようと兜の面を取り外しとき、そのぶつぶつと訳の分からぬことをつぶやいている男が誰であるかが分かった。そして、驚いて抱き起こし、自分の驢馬に載せて、村まで連れ帰ったのであった。
 傷ついてぼろぼろになったドン・キホーテの周りを懐かしい人々が取り囲み、彼を質問攻めにした。しかしドン・キホーテは、消耗していたこともあり、それらには何も答えなかった。彼の心には、ただ一つのことしかなかった。それは、新たな冒険であり、多くの困難を伴うものであった。なぜ彼は、執拗にそれを求め、それに立ち向かって行くのか。いったい、それに人一人の命を賭けるだけの価値があるのだろうか。
 もしかしたか、人が命を賭けるもの、それらはみな、そのようなものなのかも知れない。それらは、まず、必ずしも一般的な価値を持たない。一般的な価値を持つものは、むしろそれ自体ありふれたものであり、特別な価値を持っていない。人が命を賭けるもの、それは、希有なものでなければならない。それは、もしかしたら、それを求める者以外には、まったく価値の無いものでさえあるのかもしれない。世の一般的な人々が何の価値も見いださないようなもの、久しく忘れ去られ、人々の記憶から葬り去られているようなもの。そこにこそ、絶対的な価値が宿り得るのである。しかし、他の人々がそれを求めず、ただ彼だけがそれを求めているのだとしても、彼がそれをたやすく手に入れられるというのではない。なぜなら、それは、絶対的な価値を持っているのだから。それを手に入れるには、彼でさえ、己が命を賭ける必要があり、またそれにはそれだけの価値があるのである。ドン・キホーテは、それを追求していたのであった。そして、主イエスの十字架と復活、再臨と永遠の命を信じる私たち信仰者もまた、同じなのである。

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