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2010/12/11

騎士叙任式

第三章
 実はそのころ、まだドン・キホーテは、正式な騎士となってはいなかったのであった。叙任式を受けていなかったのであり、それが唯一の悩みであった。そこで彼は、いま自分が身を置いている城の城主に、それを授けてもらおうと思い立った。そして、宿の亭主を馬屋へ連れて行き、ひざまずいて頼み込んだ。亭主は、困ってドン・キホーテを立たせようとしたが、彼が頑として聞かなかったので、その願いを聞き入れざるを得なかった。
 かくして、ドン・キホーテの寝ずの番は始まったのであった。それが騎士道によれば、叙任式を受けるための条件だったからである。そして、彼の寝ずの番を妨げるものは、誰であっても彼から手厳しい仕打ちを受けずには済まないのであった。彼の信じる騎士道の掟に掛けて、彼の慕い奉るドロシネーア姫への忠誠に掛けて、彼の生まれ育った地ラマンチャの名誉に掛けて、彼は己の任務も遂行せずにはおかないのであり、彼は、己が命を掛けてそれを行うのである。それは、つまらないことだろうか。たかが遍歴の旅に命を掛けるとは。むろんそれは、彼の自己実現のためである。その冒険における功績で名を上げ、彼の名があまねく世界に知れ渡るためである。それを人は、野望と呼ぶかもしれない。そして、それは正に野望である。ああしかし、そのことによって、彼の名が高く上げられることにより、彼の生まれた土地の名声も高まり、彼の信奉する騎士道もまた気高いものとされる。そして、彼自身は、名もないドロシネーア姫の足元にぬかづき、彼女に栄光を帰するのである。
 世の人は、このような生き方を決して評価しない。なぜなら、それは見返りがなさ過ぎるから。つまり、努力に対して報酬が吊り合わないのである。まあもっとも、そのような生き方をする人がたまにはいても良いように思えるのだが。しかし世は、そのような人を認めたがらない。そのような人がいることは、まったくの想定外なのであり、そのような人は、いてはならないのである。なぜなら、もしそのような人がいるとすれば、彼らの堕落した怠惰で打算的な生活が無傷ではいられないからである。彼らは、自分たちの生活が、某かのそしりを受けるように感じるのである。そして、そのような人、つまり、気高く正しいことを目指して、たとえ限界はあるにしても、一生懸命に生き、努力している人のことを謗り、何の価値もないもののように吹聴し、一般の人々にそのように生きることが何の価値もないものであることを認めさせようとするのである。それは、そのようにして自分たちの生活を守るためであり、そのためには、そのようにまじめに生きている人を、気違い扱いするのが彼らの常套手段なのである。

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