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2010/12/01

神の国の現実

第8章
 神の国では、この世界とは違い、奇跡は普通に起こる。しかし、無秩序に起こるのではなく、そこには厳密な規則がある。私たちの目には、ときとしてそれは奇異に映る。聖霊の働きは、私たちの常識からすると非常に奇異なもの、気ままなものに感じる。癒しは、あるときは起こり、またあるときは起こらない。ある人は癒されるが、ある人は癒されない。そこで、今日、癒しのミニストリーを行う者は、往々にして、どこか頼りない思いをせざるを得ない。しかし、重ねて言うが、そこには明確な規則があるのである。
 それは、一言で言えば、つまりトップダウンということである。今日においては、奇跡を行うのは私たちである。神は、私たちを通して奇跡の働きを行われる。しかし、そこにあるのは、歴然としたトップダウンであり、私たちは、神の軍隊の長としての主イエスの権威によってそれを行うのである。このことを理解している者には、決して迷いというものがない。彼は、主の御心が「愛」であることを知っている。そしてそれで十分なのである。と言うのは、この「愛」には、すべてが含まれるからである。恵み、哀れみ、権威、力、栄光、誉れ、その他、神に属するすべての良き性質が含まれるのである。神は愛である。それゆえ、奇跡を行う者は、自分の考えでそれを行うのではない。彼の内にある主の愛によって行うのである。彼は、その愛を主イエスから直接受けた。それによって彼は主イエスご自身を知った。神は愛である。この愛を知っている者は、主イエスを知っている。この愛の中に主イエスの権威があり、命令があるのである。そしてその主イエスの御心とは、病にある人、苦しみの中にある人が癒されることなのであり、主イエスの命令とは、「癒されよ」ということなのである。
 「愛」と人々は言うが、もしそれが主イエスから出たものでないなら、それは、今私たちが語っている「愛」ではない。この「主イエスから出た愛」を持たないものは、この働きを行うことはできない。というのは、「この世の愛」には、権威が伴わないからである。しかし、神の国は、主イエスの権威で動いている。この「主イエスの権威」なくしては、私たちは何もできない。この世は私たちに対して強い、しかし主イエスの権威の前には、何ものでもない。このお方は、全宇宙の造り主であり、悪魔に勝利されたからである。

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