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2010/11/17

誘惑に対する勝利

第4章
 神は、人間と天使たちを造り、彼らに自由意志を与えられた。しかし自由意志は、常に反逆の可能性を抱えている。それゆえ、無限の時間の前では、彼らの反逆は、必然的なものとなる。そのようにしてまずルシファーが神に背き、彼がアダムを唆すことになった。その結果、アダムはエデンの園を追放され、ルシファーは、神に仕えていたころの栄光を剥奪された。死が人間存在に入り込み、ルシファーには、すでに永遠の滅びが宣告された。しかし、人の命が有限になったことにより、反逆の可能性自体もまた限定されたものになった。人は、その有限な一生の間だけ神に従順であれば良いようになった。しかし、神に背いたルシファーを神が滅ぼさず、存続させたことにより、ルシファーは神にますます敵対し、三分の一の御使いを堕落させて自分に従わせ、徒党を組んで人類を惑わす勢力となった。つまりせっかく、罪を犯す機会であるところの人間の一生が有限になり、努力によれば、その生涯を通して神への従順を貫ける可能性が生じたにも関わらず、今度は、絶えず人の心を誘惑して止まない存在が発生することになったのである。しかし、これは元の木阿弥ではなく、実は神の計画だったのである。というのも、神は「死」ということを通して、新しい従順を創造されたからである。それは、死を単に一生の終わりと捉える消極的な態度ではなく、常に死をその身に負って生きるという積極的な態度である。それにより、清い生涯の終わりを先取りするのである。そして、そのことによる誘惑勢力との戦いの生涯は、信じる者を勝利という神の僕に相応しい栄光へ導くものとなる。戦いがなければ、勝利もまたない。そこで、私たちが神から約束の地、新しい地を受け継ぐためには、この戦いがどうしても必要なのである。なぜなら、「勝利を得る者は、・・・」と言われているからである。勝利は、敵に対して創造された概念ではない。それは、最初からあるもので、その実現のために、敵が存続させられているのである。
 主イエスは、荒野で悪魔の試みに勝利された。これにより、私たちの勝利は、聖別されたのである。それは、同じ勝利でも、まったく異なる勝利なのであり、それは未来にもたらされるのではなく、現にもうそれがもたらされ、日常生活の中で、すでに私たちの手の中にあるのである。

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