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2010/11/08

神に従う人、逆らう人

第1篇
 ここに2通りの人が示される。一方は、神に従う人、もう一方は、神に逆らう人。しかし、「神に逆らう」とは、どういうことであろうか。「どうしたら世のため、人のためになるだろうか」、「どうしたら、みんなが幸福になるだろうか」、「人生の目的は、何だろうか」。そのような思い、志は、一般的には、良いこと、誉められることとされる。そのように考える人さえ多くはなく、彼は、私欲を捨て、人々のために生き、真理を追求していると受け取られる。しかし、まさに彼が追求しているところの「みんなが幸福になる」ための方法を、彼はどこで探すのだろうか。それを彼は、経験の中で、科学技術の蓄積の中で、歴史の教訓の中で、同士との協議の中で追求するのであり、決して神に求めることをしないのである。彼にとっては、神はあてにならないもの、頼りにならないものである。そして、その理由は、彼が神と親しくないからであり、それゆえ神は、彼の願いを聞かれないのである。
 一方、神に従う人は、自分からは何もしない。彼がすることは、ただ「主の教えを愛し、昼も夜もそれを口ずさむ」ことである。そのような人は、この世の価値観によれば、最も怠惰な人、自分の意見を言わず、すべてにおいて受動的で、何の役にも立たない人であるかもしれない。クリスチャンの中には、そのような人もいるだろう。つまり、その人は、この御言葉を盾に、自分の怠惰を正当化し、しかもそれを信仰深い生活に見せかけようとするのである。なぜそのようになり得るのだろうか。それは、彼が御言葉の中の「汝、成すべし」との命令を無視するからである。しかし、もし人が、御言葉を読み、そこに書かれていることを文字どおりに受け取るなら、そこにどのような責任が生じるだろうか。「自分を捨て、日々十字架を負い・・・」と言われているのであるから。また、「あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」と言われているし、「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよ」と言われているのだから。それゆえ、神に従う人とは、つぎのような人である。
 すなわち、常に神の御言葉を心に留めており、そこから決して迷い出さないという堅い決心をし、自分の心を閉ざしている人。どのように魅力的で、心を動かされるようなことでも、その価値を決して自分で判断しない人。まず何をおいても、神を褒めたたえ、神の栄光を求める人。人生の目的を求めず、その時々に神に従うことこそ唯一の生きる目的であると考える人。そのような人を神は祝福し、彼の人生にご自身の栄光を顕されるであろう。

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