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2010/09/11

憂愁の歌

 ツアラトストラは、高等な人間について、熱を込めて語り続けた。それは、そこに集まった人々が彼の後に着き従い、彼のように雄々しく戦い、彼のように勝利者、すなわち超克者となるための助言と励ましの数々であった。
 話を終えると、ツアラトストラはしばらく席をはずし、彼の洞窟の外へ出て行った。すると、そこにいて話をきいていた年老いた魔法使いが立ち上がり、自分の竪琴を手に取り、「憂愁の歌」を歌い始めた。それは、ツアラトストラが提示する超人の思想について彼自身が持っている疑念を歌ったものであり、そこにいる者たちの心をくじくためのものであった。
 「憂愁」とは、「覚醒者」すなわち「高等な人間」に伴うものである。どのような夢であれ、恋であれ、宗教であれ、それから醒めるか、それと気づいてしまった者には、この憂愁が伴うことになる。それは、2つの憂愁である。一つは、そこから醒めた夢についての憂愁。もう一つは、夢一般についての憂愁である。というのは、一つの夢から醒めてしまった以上、もう一つの夢からも醒める可能性がある、つまりすべての夢は、醒める可能性を持つ、すなわち、あてにならないものとなるのである。これが、すべての覚醒者、すなわち高等な人間の宿命でもあるのである。それゆえ、年老いた魔法使いは、ツアラトストラもその例外ではないと考えたのである。
 たしかにツアラトストラもその例外ではないだろう。そして、このことは実に、この世界の根本的な構造を表しているのである。つまり人間とは、一つの覚醒であるということを。しかしそれはまた、絶えざる覚醒であるということを。自分の勘違いに気づくということは、それ自体、何か今までと異なるパラダイムに自分が突入したかのように思われる。しかし実は、そうではない。この覚醒は、実は連続的に起こっているのである。しかし、人の意識が不連続なものであることにより、そのようにして、突然にそれまでの出来事の総合から、あるとき人は、自ら一つの判断をし、それに対する態度を決定するものであることにより、自分が何か、一つの夢から覚めたように思うのである。つまり、こうである。人間は、それまで自分が信じていた一つの真理から目覚め、次の真理へと向かう、そのようにして、より完全な真理へと到達しようとする。それが、ツアラトストラの洞窟に集まった奇妙な者たち、すなわち「高等な人間」たちであった。しかし、ツアラトストラは、さらに一歩高度な覚醒の中にあった。それはつまり、人間がそれ自体、一つの覚醒であり、いくつかの異なる世界からの覚醒ではなく、覚醒は、自分とそれを取り巻くただ一つの世界の間に、連続的に起こっていることに気づいているということである。それゆえ、彼はもはや、新しい真理を探究しようとは思わない。真理とは、彼自身なのである。世界の構造は変わらない。変わるのは、彼の意識の方である。しかし、彼の意識が変ったからと言って、彼自身が変るということではない。彼自身も不動なものなのである。このことに気付いたとき、彼ツアラトストラは、この世界に対して、不動な存在としての自分を自覚したのである。そのとき、神は彼にとって、死んだのであった。そして、世界も。なぜなら、この世界を造ったのは、神だからである。彼にとって、この世界は、もはや発展のない、永劫回帰なる世界となった。それは、彼が神を失ったからである。そして、彼は、永遠の存在としての自分を自覚した。しかし、それは、何も意味のない世界。有限の事柄の無限の無意味な繰り返しの世界であった。それは、何よりも透明なものである。それには、意味がないのだから。
 その意味で、年老いた魔術師の歌は、真理であった。しかし、彼はその意味を理解していなかった。自分が、ツアラトストラより一段と論理的に展開する以前の段階にあるということを。そして、彼があるとき彼の思想を劇的に飛躍させて、一段と弁証法的に展開させたとき、それはツアラトストラの永劫回帰の思想、超人の思想、人間とは超克されるべき一つのものであるところの思想に到達するのである。そして、それは、無なのである。それは、彼が神ではないところに真理を求め、そのようにして一つの真理から次の真理へと覚醒の遍歴を続けたからである。
 ああもし、神が存在するなら。不動のものが、自分ではなく、神であるのならば。この世界は、再び息を吹き返し、時間は永遠に到り、歴史は一度きりの有限性の中へ格納される。そのようにして永遠は、有限な時間の中に連続的に写像される。これが歴史であり、神の物語、His-storyであり、それは、有限なる人の人生と呼応するのである。これが、天地創造の意味である。
 「おお、わたしのまわりの清純な香りよ。おお、わたしのまわりの至福の静けさよ。さあ、どうか言ってくれ、わたしの動物たちよ、これらの高等な人間たちは、おしなべて、良からぬにおいを放っているのではあるまいか」、ツアラトストラは、かく語った。

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